日本の障害者施策と
「障害者権利条約」の批准について
2021.11.23/2022.4.10/2022.10.2/2023.4.6/2024.1.6
障害者権利条約の批准と
国内法の整備
障害者差別解消法の
施行について
「合理的配慮」の義務化の
問題と課題
共生社会/インクルーシブ教育と
「合理的配慮」
障害者権利条約の批准と
国内法の整備
日本国憲法 第98条
憲法の最高法規性、条約及び国際法規の遵守
この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
② 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
障害者差別解消法の
施行について
《障害者差別解消法の
改正ポイント》
内閣府:2023年3月31日
2024年4月1日から
障害者差別解消法が変わります!
「合理的配慮」の義務化の
問題と課題
障害者差別解消法は、障害者権利条約の批准に向けた国内法制度の整備の一環として制定された法律ですが、今回の法改正で特に重要視すべき点は、これまで「合理的配慮」の提供が、民間の企業や店舗などでは〝努力義務〟とされてきましたが、それが国や自治体と同じように〝義務〟になったことです。
改正障害者差別解消法の施行期日は、公布後3年以内に政令で定めることになっています。それは3年以内に、過重な負担にならない合理的配慮の提供に関わるものごとについて、できることはやっておくということだと思います。そこで大変重要となるのが、「障害者の権利」や「合理的配慮」についてどのように考えるかということです。
「合理的」とは、道理にかなっているとか、ものごとの進め方に無駄がない、効率的である、というようなことだと思いますが、道理にかなっているか、無駄がないかどうか、効率的であるかどうかの基準(目安)となるものは何かといえば、それは人々の日々の暮らし方そのものの中にあるはずです。しかし障害を有するというのはそもそも一般的な価値観や評価基準、人間関係が通用しにくい問題を抱えているという状態であり、その問題のむずかしさの度合いが障害の内容やその程度や状態にも関係していると考えることができます。
但し、障害者の権利ということで勘違いをしてはならないことは、それは特別な権利ではなく、人の権利であるということです。
したがって合理的配慮とは、障害のある人もない人もその両者を含めた〝人の暮らし〟を考えた配慮でなければならないということになりますが、人にはみなそれぞれの価値観や人生観を伴う多様な生きがいや生き方があり、そうした生き方や生きがいに対する配慮はみな同じであればよいというわけではないはずです。そこに「合理的配慮」という意味があり、合理的であるかどうかの問題や課題があると思います。
つまり、その障害の内容やその程度や状態の改善や軽減を図ることができるにしても、障害のない人とまったく同じ状態にはならないところをいかに受け入れ、いかにすれば障害のある人もない人も共によく生きられる(生活できる)かを生活環境(社会環境)条件にも着目しながら考える必要があるわけですが、それは障害の特質をすべて承知した上で、どのように共に生きる(生きられる)かを具体的に考えるということだと思います。
また障害者支援とは、人の生活を支援するということであり、それが本来の障害(者)を理解し、障害を受け止めるということであり、それが「共生社会」の条件であるはずです。障害があってもその人にとって適切な内容や方法を駆使した教育であれば、それが特別支援教育であっても普通教育であってもよいわけで、同等の教育であるはずです。
また障害者支援制度を利用することで、その人なりの生活目標をもち、充実した気分で、あるいは安定した穏やかな生活を維持できるようになれば、それは生活者としての人の生き方を実現したということであって、それ自体が廃退でも破壊でもない〝生産的〟な存在であり、社会参加であるといってよいはずです。 そうした生活が持続できるような世の中であれば、それが共生社会の〝証し〟だと思います。
《学校教育法でいう
「準ずる教育」とは》
特別支援学校の目的として、学校教育法第72条に、「特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱害者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。」とあります。
しかし、いわゆる一般的な学校と同じ教育の内容や方法では無理があるがために、教育のための特別な支援を要するという意味で「特別支援教育」、「特別支援学校」というのであれば、その学校での具体的な教育の内容や方法は、いわゆる一般的な学校に「準ずる教育」ではなく、障害の内容や状態等に応じた「適切な教育」を行うということでなければならないと思います。
学校教育法第72条の「準ずる教育」を「適切な教育」というように改めることにより、特別支援学校での具体的な教育的支援の方向性やそのための教育内容や方法が考えやすくなり、工夫もしやすくなるのではないでしょうか。
特別支援教育が必要だというのであれば、その前提として何よりもまずその対象となる児童生徒の実態の把握とそのためにどのような教育をどのように行うかということを考えなければなりません。そうでなければ特別支援教育と称する教育の内容や方法を具体的に追求していくことにはならないと思いますが、なぜか「準ずる教育」へのこだわりは根強いようです。
〝準ずる教育〟ということにこだわることでの混乱とそれによる弊害を招かないためにも、また教育的意義や教育的効果の点からも、教育を受ける権利に対する教育を受けさせる義務という点からも、学校教育法でいう「準ずる教育」は「適切な教育」に改めるべきではないかと考えます。
障害のない児童や生徒を対象にした教育と同じような内容や方法で無理がなければそれでよいわけですが、無理があるとすれば、やはりそれをしっかりと受け止めることが大切です。そういう理解認識が正しくなされないまま、未消化のままの人権論や無差別平等論に翻弄され、ノーマライゼーションやインクルージョンの論理が空転してきた現状があることも確だと思います。
共生社会/
インクルーシブ教育と
「合理的配慮」