福祉とは何か
「福祉」の意味
2012.11.21/更新 2014.4.27/2017.7.1/2022.3.6
「福祉」とは、すべての人の「幸福」を意味します。
人が幸福に感じる内容や幸福感の度合いはいろいろだと思いますが、人が人らしく生命を維持し、生活をゆたかに発展させようと求めるものが、幸福の具体的な内容になると思います。
幸福を求めるのは人の権利です。
「福祉」 と 「幸福」
私的レベルの幸せと社会レベルの幸せ
人の幸せとは・・・
人の幸福感と福祉の課題
権利と義務の社会
「支える」ことは「支えられる」こ
「福祉」 と 「幸福」
「福祉」というと高齢者や障害者を対象にした何か特別なことのようにも思われているようですが、 「福祉」とは、「幸福」と同じ「しあわせ」という意味のことばです。
福祉も幸福もどちらも、しあわせ(幸せ)を意味することばですから、どちらか一つのことばだけでよさそうなものですが、日本国憲法の第13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で最大の尊重を必要とする。」とあり、幸福追求・公共の福祉というように
「幸福」と「福祉」の両方のことばが使われています。
それでは、幸福追求という場合の幸福とは何か、公共の福祉という場合の福祉とは何か、ということになりますが、福祉も幸福も「しあわせ(幸せ)」を意味するわけですから、そのしあわせ(幸せ)というものについて考えてみるとよいと思います。
おそらくそれは人によっていろいろな捉え方や考え方、感じ方、があるのではないかと思います。
しかしそこには人々の生き方や生きがいに関係する共通の、“よく生きよう” “よく生きたい”という願望や欲求があるはずです。そうした願望や欲求のなかにこそ一人ひとりの具体的なしあわせ(幸せ)があると思います。
一人ひとりの求める幸せがあるのであれば、一人ひとりの集まりである社会全体の求める幸せもあるはずです。そこに福祉と幸福という二つのことばの存在する意味があるわけです。
「幸福」とは、一人ひとりの私的レベルのしあわせ(幸せ)を意味し、「福祉」 とは 一人ひとりの集まりである社会的レベルのしあわせ(幸せ)を意味するというように考えるとよいと思います。
私的レベルの幸せと
社会レベルの幸せ
社会を構成する一人ひとりが幸せならば、社会全体も幸せであり、社会全体が幸せならば、社会を構成する一人ひとりも幸せなはずです。しかし現実は、私的(個人)レベルの幸せと社会的レベルの幸せとが必ずしも合致するとは限らないようです。
それは私的レベルの幸せを「主観的幸せ」というように置き換えて、社会的レベルの幸せを「客観的幸せ」というように置き換えてみれば、主観と客観のずれというように考えることができます。
いずれにしても人には一人ひとりのそれぞれが求める幸せというものがあり、その一人ひとりの集まりによって構成されているのが社会であると考えれば、自由及び幸福追求の権利は、個人だけにあるのではなく社会を構成する人々すべてにあるわけですから、そこに権利と権利とが衝突するようなことが起こりうるのだと思います。
そのために人と人とがうまく折り合うための配慮を要するわけですが、そうした配慮の仕方や目安となっているのが日々の暮らし(生活の営み)におけるいわゆる「しきたり」や「ルール」です。おそらくしきたり(仕来り)やルール(規則)の何もない社会的生活の営みなどはありえないと思います。
しきたりやルールの形や内容はいろいろあるでしょうが、それらが人々の生活において必要であるということは、必然的にそれらは人が生活するところの風土や歴史、生活習慣や文化レベルと密接な関係があるはずです。
したがって、暮らしの中のしきたりやルールは、人々の実際の暮らし方やその社会に合うものでなければなりません。
そのためにはそれらをどのように考え、どのように設定し、どのように維持していくか、あるいは必要に応じてどのように改革(イノベーション)していくかという問題があるわけです。そこにいわゆる政治的・政策的な課題があり、それがつまりは社会統治(ガバナンス)の問題だと思います。
人の幸せとは・・・
幸せについての捉え方や考え方、感じ方はいろいろだとしても、しあわせ(幸せ)の基になるのは、人として “よく生きる” “よく生きられる” ということであり、それは誰もが目指す目標だと思います。
そして人はみなよく生きるためのそれなりの努力をする(している)はずであり、それが人の世の繁栄につながっていると思います。
人間が人間として繁栄していくためには、今ある生命を大切にしなければなりませんが、さらにその生命を将来に向けた新たな生命につなぎ続ける努力もしていかなければなりません。それは人間が人間に課す義務であると同時に、人間として生きる権利の行使であり、権利の確保です。
幸福の追求が人の権利だとしても、その権利を保持するために努力することは人の義務だということになります。
今、日本の社会福祉の分野では、児童福祉にしても、高齢者福祉にしても、障害者福祉にしてもいろいろ課題を抱えています。それらの課題は社会保障の問題とも関連するという考え方が大切であり、それは日本の国の命運にかかわる重大なことだと思います。
人の幸福感と福祉の課題
「幸福」の感じ方や考え方は人それぞれかもしれませんが、日々の暮らしの中で満ち足りて、あるいは安定した気分を保持できるのであれば、それも幸福といってよいと思います。
人が、自らの生活状況や条件を納得して受け入れ、その生活を保持できれば、それも人の生き方であり、幸福の中に含めてよいのではないでしょうか。なぜなら同じ条件の下でも、それに満足や納得のできる人もいればできない人もいるからです。
人が満足したり納得する度合いには違いがあるわけですが、それは人それぞれの生活環境や生活習慣、人生観や価値観、性別、年齢や経験、性格などによって生ずるところの違いだと思います。
例えば、子どもと大人ではものごとについての理解力や生活経験に差があるために興味や喜びの内容には異なるものがあります。若者と高齢者では体力や人生経験などの面での差があるわけで、子どもには子どもなりの、大人には大人なりの、若者には若者なりの、高齢者には高齢者なりの幸福感というものがあると思います。
幸福であるかないかはその人自身の主観の問題であり、他人が判断することではありません。しかし人の幸・不幸を周囲が勝手に判断するようなことがありがちですが、そうしたことは特に障害者を支援するということにおいては注意を要することだと思います。
人はみなそれぞれそれなりによりよく生きたいと願い、そのための努力をするはずです。その願いや努力に対してどのような支援を行うかというところに課題があるわけですが、その課題が障害者福祉の課題であり、高齢者福祉の課題であり、児童福祉の課題であるわけです。要するにそれらの課題のすべてが社会福祉の課題だということになります。
社会福祉に関する課題を考える上できわめて重要なのが、日本国憲法の第13条と第25条です。
日本国憲法 第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由、及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。 第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。 ② 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。 |
権利と義務の社会
権利と義務は表裏一体、車の両輪の関係にあり、そうした権利と義務を有する人々で構成されているのが「社会」です。
よりよい社会は、人々の生きる努力の中で互いによく生きられるように支え合うことによってこそ築かれるものだと思います。
「支える」ことは
「支えられる」こと
人々すべてが生まれながらに有する権利であっても、生まれてすぐに自らの権利を主張し、行使できるわけではありません。両親や家族等、周囲の人々によって保護され、
しかし権利の主体としての人間的成長発達が順調に行かない場合も起こりうるし、幼弱、老齢、病弱や障害、その他の事情により自らの意思や力で自らの権利を主張し、行使し、確保することがむずかしい場合もありえます。
そのために人々は支え合い、協力し合い、次世代に希望を託し、理想を追求し、よりよい生活環境を整えるための努力をする(している)はずです。それは権利の確保にはそのための努力と果たすべき責任を負う義務があることを意味します。
権利と義務は表裏一体、車の両輪の関係にあり、そうした権利と義務を有する人々によって構成されているのが「社会」です。よりよい社会は、人々の生きる努力の中で互いによりよく生きられるように支え合うことによってこそ築かれるものだと思います。
「支える」ことは、実は「支えられる」ことなのですが、それはなかなか気がつきにくいことなのかもしれません。しかしそれが互助の精神であり、人権の尊重ということであり、その互助、人権の尊重こそが社会保障制度の仕組みの基礎であると思います。
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