ハンセン病家族補償法成立
朝日新聞 2019(令和元)年11月16日
ハンセン病元患者の家族に対し、1人あたり最大180万円の補償金を支給する補償法と、名誉回復のための改正ハンセン病問題基本法が 2019(令和元)年11月15日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。22日にも施行され申請を受け付け、 早ければ、2020(令和2)年1月末に補償金の支給が始まる。
対象者は約2万4千人、費用は約400億円と推計される。
2.4万人対象、1月末にも支給
補償法は前文で、国による患者の隔離政策で家族も偏見と差別を受け、多大な苦痛と苦難を強いられてきたと指摘。「国会、政府はその悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびする」とした。
補償金は、元患者の親子、配偶者に1人当たり180万円、きょうだいや元患者と同居していたおい、めい、孫、ひ孫らに130万円を支給する。内縁の配偶者のほか、戦前の台湾、朝鮮半島に住んでいた人も対象とする。厚生労働省によると、対象者は約2万4千人、費用は約400億円と推計される。 請求期限は施行日から5年。請求者は厚労省に請求書と、ハンセン病療養所の患者台帳や診療録、戸籍などの資料を提出し、認定を受ける。資料で確認できない場合は、外部有識者でつくる審査会が審査。改正法は、名誉回復の対象に元患者の家族を新たに加えた。
厚生労働省は今後、補償制度について同省のホームページ、自治体、ハンセン病療養所、元患者の団体などを通じて周知を図る。周囲の偏見や差別を恐れ、補償金の請求をためらう人がいるとの指摘がある。厚労省は請求は自治体を介さず、同省の窓口に一元化。認定審査も守秘義務を課した職員で対応し、個人情報が漏れないように対応を取る。
ハンセン病家族訴訟弁護団は「家族被害の全面解決に向けて大きな前進をもたらすものとして高く評価する」としたうえで、「偏見差別はなお、社会に深刻な形で根付いている。問題の最終的な解決には、偏見差別を一掃することが何よりも切実に求められている」とのコメントを出した。
家族訴訟は、患者に対する国の誤った隔離政策で差別を受けて家族の離散などを強いられたとして、元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪を求めた。熊本地裁は6月、国の責任を認め、総額3億7675万円の支払いを命じる判決を言い渡した。
《補償法の骨子》 ○国会と政府の反省とおわび、家族等への偏見差別を国民とともに根絶する決意を明記 ○らい予防法が廃止される1996年3月末までにハンセン病を発病した元患者の家族のうち、親子、配偶者(内縁を含む)に1人あたり180万円、きょうだい、同居していたおい、めい、孫、ひ孫らに130万円を支給 ○補償金の請求は厚生労働省に行い、認定を受ける ○請求期限は法施行後5年間 ○請求後に死亡し、認定された場合は遺族や相続人に支給
(土肥修一)
ハンセン病とは
朝日新聞 2019(令和元)年11月16日
国がハンセン病患者を施設に隔離する政策は、20世紀初めから約90年に及んだ。 日本社会にはびこった差別や偏見は患者・元患者だけでなく家族にまで広がった。 差別の連鎖はなぜ断ち切れなかったのか。
官民一体の隔離政策 1900年の明治政府の調査では患者は約3万人。家族への差別を避けるために、家を出て放浪する患者も多かった。放浪中の貧困の患者を隔離するため、政府は07年、法律「癩(らい)予防に関する件」をつくり、計1100人分の公立療養所が東京や熊本など5カ所に置かれた。
患者を減らすために、隔離は当時有効な手段と考えられていた。だが、病状が改善しうることや人道的な配慮から、国際的には限定的に運用する方向に向かった。一方、日本は「不治の病」との前提で、すべての患者の収容をめざす方へ動いた。政府は31年、癩予防法を制定。1万人を隔離し、20年間で患者を根絶させる計画を進めた。「日本国民は甚だしく癩感染の危険にさらされている」。政府は「癩の根絶策」でこう強調し、地域社会から患者を排除する官民一体の「無らい県運動」も本格化させた。
収容された患者は、土木工事や重傷者の看護といった労働を強いられた。断種手術も行われた。所長には裁判なしで処罰できる「懲戒検束権」が与えられ、逃走や反抗した患者は監禁室に収監された。38年には栗生楽泉園(群馬県草津町)に「特別病室(重監房)」がつくられ、9年間で延べ93人が送り込まれ、22人以上が寒さや自殺で死亡したとされる。
治療薬できてもなお 戦後、米国で発見された治療薬プロミンが導入され、その後も続々と新薬が登場した。だが、日本は方針転換できないまま、世界の動きから取り残された。
政府は53年、癩予防法を引き継ぐ「らい予防法」を制定。それに先立って、国会で証言した国立療養所の3人の園長は、いずれも隔離政策の強化を主張した。林芳信・多摩全生園長は約6千人が未収容だとして「施設を拡張していかねばならない」などと述べた。 無らい県運動も継続され、偏見、差別が深刻化する。山梨県では51年、患者と家族の9人が死亡する心中事件が起き、熊本市では54年、黒髪小学校児童の保護者らがハンセン病の親と離れて暮らす児童4人の入学に反対して社会問題になった。
患者の全国組織「全患協」は53年には激しい反対闘争を起こし、その後もくり返し、差別的な法律の改正を求めた。世界保健機関(WHO)の専門委員会も60年、ハンセン病を他の伝染病と同じ分類に置くべきで、これらの原則に合わない法律は廃止すべきだとする報告書を公表した。 一方、厚生省は療養所の環境や福祉の改善に追われ、予算を引き出すために法律の隔離条項を強調する手法を使っていた。らい予防法の廃止は96年。2005年に日弁連法務研究財団が公表した報告書は「強制隔離と処遇改善の『表裏一体論』が厚生省で支配的」だったことが、法律の改廃が遅れた基本的理由と指摘している。
国相手に二つの訴訟 らい予防法が廃止されても、国の隔離政策によって生まれた差別や偏見が解消されたわけではなかった。
元患者たちは1998年、名誉回復や国の謝罪などを求めて、熊本地裁に訴訟を起こした。2001年5月の判決は、隔離政策を憲法違反とし、国の責任を認めた。政府は控訴を断念し、当時の小泉純一郎首相は談話で謝罪。患者・元患者1人あたり800万~1400万円を支給するハンセン病補償法が成立した。
患者の家族たちも隔離政策で離散を強いられ、入学や就職を拒まれるなどしてきた。09年施行のハンセン病問題基本法は元患者の名誉回復を国に義務づけたが、家族は取り残されたままだった。16年2月には元患者の家族がを国の責任を問う初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。 19年6月の判決は、国の隔離政策が家族を国民から差別される立場に置く社会構造を生み出したと指摘した。
政府は控訴を断念し、安倍晋三首相は原告に謝罪。10月には家族1人あたり130万円~180万円を支給するハンセン病家族補償法案の骨子が固まった。
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