ハンセン病と元患者家族の集団訴訟

2019.7.26/11.22/2021.3.28




 ハンセン病は、「らい菌」に感染することで起こる病気で、主に手足の末梢神経が麻痺すると、汗が出なくなったり、熱や痛みを感じなくなります。皮膚も侵されてさまざまな症状が現れます。感染は咳やくしゃみをしたときの飛沫に含まれる「らい菌」が、大量かつ繰り返し鼻粘膜に付着することによる飛沫感染といわれています。

 かつては「らい病」と呼ばれていましたが、1873(明治6)年に「らい菌を発見したノルウェーの医師、ハンセンの名前をとって、現在ではハンセン病と呼ばれています。薬で治り、感染力も弱く、隔離の必要は全くありません。

 1900年代、ハンセン病はコレラやペストと同じような恐ろしい伝染病と考えられていました。1907(明治40)年、「癩(らい)予防二関スル件」が制定され各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれる患者さんの収容が始まりました。この法律は1931(昭和6)年成立の「癩予防法」へと引き継がれます。国立の療養所が各地に建設され、すべての患者さんの強制収容が進められていきました。

 「癩予防法」は、1953(昭和28)年に「らい予防法」として改正されます。しかしこの法律には大きな問題点がありました。それは、薬で治るにもかかわらず、強制隔離を続け、退所規定が設けられなかったことです。それは、一度療養所に入所したら一生そこから出ることができないことを意味していました。

 1996年(平成8)年、ようやく「らい予防法の廃止に関する法律」が制定され、さらに2008(平成20)年には、今後のハンセン病対策の指針となる「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が制定され、今では療養所の周辺住民とも広く交流が図られています。
 しかし、想像を絶する一生療養所から出られない、親や兄弟と一緒に暮らすことができない、結婚しても子供を産むことが許されない、亡くなっても故郷の墓に埋葬してもらえない……。療養所で暮らす元患者さんたちは病気とともに心に受けた傷を、長い年月を経た今もなお、消せないまま暮らしているのです。


(公益財団法人 日本科学技術振興財団「知ってほしい、ハンセン病のこと。」 2015年12月1日発行)





《ハンセン病家族訴訟》

 患者への国の誤った隔離政策で差別や偏見を受け、家族離散を強いられたとして、北海道から沖縄までの元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪広告の掲載を求めた集団訴訟。
 熊本地裁は6月、国の責任を認め、総額3億7675万円の支払いを命じる判決を言い渡した。原告の家族、被告の国も控訴をせず、判決が確定した。

 判決では、02年以降に家族に元患者がいると認識した原告の請求は棄却。同居のおい、めい、孫のほか、1972年までの米軍施政下時代の沖縄の療養所に収容された元患者の家族らは家族の関係づくりが妨げられた被害については認めなかった。このため、慰謝料は1人当たり30万~130万円と差がついた。

 政府は7月、「政府として深く反省し、心からおわび申し上げる」とする安倍晋三首相の談話を発表し、控訴しないことを決定。訴訟に参加しなかった元患者の家族も含めて補償するとし、立法措置をとることを表明。その後、補償の制度作りに向けて厚生労働省と弁護団が協議するとともに、超党派の議員懇談会が法案をまとめるとした。




◆ハンセン病家族訴訟 賠償命令 
  熊本地裁 国の責任認める  朝日新聞 2019(令和元)年6月29日(1面)
 ハンセン病患者に対する国の誤った隔離政策で差別を受け、家族の離散などを強いられたとして、元患者の家族561人が損害賠償と謝罪を求めた集団訴訟で、熊本地裁(遠藤浩太郎裁判長=佐藤道恵裁判長代読)は、28日、国に総額3億7675万円の支払を命じる判決を言い渡した。
 元患者家族の被害に対する国の賠償責任を認めた司法判断は初めて。20人分は請求を棄却した。原告団は判決後、控訴の断念を国に求める声明を発表。原告以外の元患者家族も含めた補償に向けた協議を求める方針も明らかにした。

 国のハンセン病政策をめぐっては、元患者への賠償を命じる判決が2001年に熊本地裁で確定。全国の元患者らに補償がなされたが、家族の被害は顧みられないままだった。北海道から沖縄までの元患者の子やきょうだいらが16年、1人当たり550万円の賠償を求めて提訴していた。

 判決は、家族が訴えた被害は隔離政策が生じさせたと認め、「大多数の国民らによる偏見・差別を受ける社会構造をつくり、被害を発生させ、家族関係の形成を阻害した」と指摘。実際に差別体験があったと認められない原告も、結婚や就職などで差別されることへの恐怖や心理的負担があり、共通の被害を受けたとした。

 厚生労働相(厚生相)には、遅くとも1960年の時点で隔離政策を止め、家族への偏見・差別を取り除く義務があり、96年のらい予防法廃止以降は、長年の被害放置を受けて差別除去への強い義務があったとして、違法と断じた。
 2001年判決にはなかった法務相と文部科学相(文部相)の過失も認定。予防法廃止以降、家庭や職場での人権啓発活動や、学校教育を進める義務があったが、怠ったとした。また、国会議員の責任について、96年まで予防法の隔離規定を廃止しなかった不作為を違法とした。

(田中久稔)

 顧みられなかった被害 視/
 28日の熊本地裁判決は元患者家族の被害を認め、国の隔離政策が、家族を国民から差別される立場に置く「社会構造」を生み出したと明確に指摘した。偏見や差別を取り除く義務も認めた画期的な内容だ。
 家族による初の集団訴訟では、最終的に561人が原告となった。だが、名前を明かした人はわずか数人。提訴を家族に知られ、離婚した原告もいた。ハンセン病による差別が、今も多くの家族を苦しめている実態を裁判は知らしめた。

 隔離政策は2001年の熊本地裁判決が違憲性を認め、元患者らへの謝罪と補償が行われた。だが、地域社会に残された家族が受ける被害は顧みられなかった。家族であることを隠して暮らすため、同じ境遇の者同士で苦しみを共有し、社会に訴える機会を持てなかった。家族被害が埋もれてきた背景の一つだ。法廷に立った29人は声を詰まらせながら体験を語った。 

 家族について、国の責任が認められたことは大きな一歩だ。しかし、元患者や家族を排除してきたのは、地域社会で暮らす私たちだったことも忘れてはならない。誤った知識や思い込みで差別を生み出していないか。自ら省みることが一人ひとりに突きつけられている。

(池上桃子)


ハンセン病家族訴訟 判決要旨
  ハンセン病患者の家族への賠償を国に命じた28日の熊本地裁判決の要旨は次の通り。

【大臣の責任】
 国は、ハンセン病隔離政策などにより、患者の家族が大多数の国民らによる偏見差別を受ける一種の社会構造を形成し、差別被害を発生させた。 被害の実情は ①村八分②就学拒否③結婚差別④就労拒否⑤進路や交友関係など人生の選択肢の制限⑥家族関係の形成の阻害といったものが含まれる。これらの差別被害は個人の尊厳にかかわる人生被害であり、また生涯にわたって継続しうるもので、その不利益は重大である。

 ハンセン病は遅くとも1960年には、患者を隔離しなければならないほどの特別な疾患ではなくなっており、厚生相(厚生労働相)には隔離政策などの廃止義務があった。偏見差別を除去する義務を、患者の家族との関係でも負わねばならない。こうした義務を60年から2001年まで尽くしておらず、国家賠償法上の違法性が認められる。

 法相は、らい予防法が廃止された96年から01年まで偏見差別除去義務を負う。しかし実施した啓発活動は不十分で、患者家族に対する偏見差別除去の効果も十分ではなく、義務を怠ったと言わざるを得ない。文部相(文部科学相)も96年から01年末まで学校教育において、患者の家族に対する偏見差別の是正を含む人権啓発活動が実施されるよう教材の作成、教育指導の方法を含め、適切な措置をとるべきだった。

【国会議員の過失】
 国会審議などから、国会議員にとって、65年にはらい予防法の隔離規定の違憲が明白だった。96年まで30年以上も隔離規定を廃止しなかったことは、正当な理由なく改廃などの立法措置を怠ったと認められる。

【共通の権利侵害と損害】
 患者の家族は01年末まで、家族というだけで差別を受ける地位に置かれていた。被害が実際に生じていなかったとしても、差別を理由として就業、結婚、友人や近隣における付き合いなどの社会生活が制限され得ることを認識し、結婚、婚姻関係、交友関係、就労などに支障を生じるのではないかと大きな心理的負担を感じるとともに差別を受けることに対する恐怖を感じていた。社会生活上の不利益や心理的負担が生じたことは明らかである。差別経験の有無にかかわらず、こうした状況にあった原告らは共通の権利侵害が認められる。

 患者である家族が療養所に入所し、別居していた原告らは、一定期間離れ離れとなり日常生活を共有できず家族関係の形成を阻害されたことが認められる。

【消滅時効】
 原告らは鳥取地裁で15年9月9日に言い渡された判決をきっかけに、代理人弁護士らから、国が加害者であること及び国の加害行為が患者の家族との関係においても不法行為を構成する可能性を指摘された。指摘を受けるまで認識することは困難だった。15年9月9日以降の日が消滅時効の起算点であり、提訴日までに3年は経過していないから消滅時効は完成していない。

 ■判決骨子
○国のハンセンン病患者への隔離政策は、遅くとも1960年には必要性を失っていた
○隔離政策が家族への差別被害を生じさせた
○厚生相と厚生労働相は、60年から元患者訴訟が確定した2001年末まで隔離政策を廃止する義務に反して違法
○法務相は、らい予防法が廃止された96年から01年末まで家族への偏見差別を除去する義務に反して違法
○文部相や文部科学相は、96年から01年末まで偏見差別を除去する教育が実施されるようにする義務に反して違法
○国会議員は、違憲が明白だった65年から96年まで予防法の隔離規定を廃止しなかった不作為について違法


◆長年の差別放置 断罪 
 法務・文科相にも踏み込む  
朝日新聞 2019(令和元)年6月29日(2面)

 ハンセン病の元患者らが起こした訴訟で、熊本地裁はその苦しみを「人生被害」と指摘し、国に賠償を命じた。原告団は高く評価し、今も消えない差別や偏見をなくす契機になればと期待する。一方、国側は今後の対応について明言を避けた。

ハンセン病家族訴訟   
 就学拒否、結婚差別、就労拒否……。判決は、ハンセン病患者の家族について「人格形成や自己実現の機会が失われ、家族関係の形成が阻害された」と指摘した。国が患者の隔離政策を続けたことによって、家族までもが平穏に生活する権利を侵害されたとして、明確に国の責任を認めた。
 
 ハンセン病は、感染力は極めて弱いが、進行すると手足や顔に変形が起きうる。国は1931年に癩予防法を成立させ、患者の強制隔離政策を推進。戦後「らい予防法」と名を変えた法が廃止されたのは、半世紀以上が経った後の96年だった。

 元患者が起こした訴訟で熊本地裁は2001年、「予防法の違憲性は明らか」と断じたうえで、「遅くとも60年までに強制隔離は必要ないと認識していたのに、96年まで放置した」と厚生相(当時)や国会の責任を認めた。28日の判決はこの判断を踏襲しつつ、96年以降も「偏見差別を取り除くため、正しい知識を普及する活動を行うべき義務を尽くさなかった」と、国の新しい責任を認定した。
 
 28日の判決は、人権啓発を担う法務相と、教育を担う文部相・文部科学相の責任に踏み込んだ点でも、01年の判決と異なる。判決は一方で、02年以降は「不十分ながら、国などの人権啓発活動の効果が一定程度生じた」として、国の責任を認めなかった。 01年の判決や政府の控訴断念、国会謝罪決議などの動きがあったことで、「02年以降は差別被害があっても、隔離政策が原因だったとはいえない」とした。

 今回の訴訟では、「不法行為を知ってから3年以内に提訴したか」という時効の起算点も争点だった。判決は、元患者の家族が鳥取地裁に起こした訴訟の判決が言い渡された15年を起算点とすることで、原告側の訴えを有効と認めた。

(編集委員・北野隆一)


ハンセン病と国の責任をめぐる経緯       (朝日新聞をもとに作成)
 1907(明治40)年  法律「癩予防ニ関スル件」制定。
 1931(昭和6)年に「癩予防法」成立。隔離政策の根拠となる
 1953(昭和28)年 癩予防法を「らい予防法」に改正。
 薬で治るにもかかわらず、退所規定が設けられずに強制隔離を続ける
1996(平成 8)年  「らい予防法の廃止に関する法律」制定。らい予防法は廃止となる
 1998(平成10)年  元患者が国に損害賠償を求め熊本地裁に提訴
 2001(平成13)年 熊本地裁が元患者への賠償を国に命じ、国は控訴断念。
元患者に補償金を支払う「ハンセン病補償法」成立 。
 熊本地裁は「予防法の違憲性は明らか」と断じたうえで、「遅くとも1960年までに強制隔離は必要ないと認識していたのに、1996年まで放置した」と厚生相(当時)や国会の責任を認めた
 2009(平成21)年  「ハンセン病問題基本法」施行。
 2015(平成27)年  元患者の家族が国に賠償を求めた訴訟で、鳥取地裁が請求を棄却。国の賠償責任は認めるが、時効で消滅したと判断
 2016(平成28)年  元患者の家族が熊本地裁に提訴
 2019 (令和元)年   熊本地裁が国の責任を認定し、家族への賠償を命じる判決 


◆ハンセン病家族訴訟 控訴せず 
   首相表明 
人権侵害を考慮  朝日新聞 2019(令和元)年7月10日(1面)

 元ハンセン病の家族への賠償を命じた熊本地裁i判決について、政府は、9日、控訴しない方針を決めた。安倍晋三首相が「異例のことだが、控訴をしない」と表明。政府内には控訴して高裁で争うべきだとの意見が大勢だったが、家族への人権侵害を考慮、最終的に首相が判断した。原告側が控訴しなければ、地裁判決が確定する。

 首相は同日、記者団に対し、判決の一部に「受け入れがたい点がある」と指摘しつつ、「筆舌に尽くしがたい経験をされたご家族のご苦労をこれ以上、長引かせるわけにはいかない」と説明した。根本厚労相は「通常の訴訟対応の観点からは控訴せざるを得ない問題があるのは事実」としており、首相による政治判断を強調した。

 一方、原告側は9日午後、国会内で記者会見し、首相に対して12日の控訴期限までに面会して被害の訴えを直接聞いた上で、政府を代表して謝罪するよう要求。また、地裁が請求を棄却した20人を含む被害者全員を一括一律に被害回復する制度の創設の協議が12日までに始まらない場合、20人については控訴する可能性があるとした。

 判決では、国の責任を広くとらえ、厚労相(厚生相)や法相、文部科学相(文部相)が偏見差別を除去する義務を怠ったという違法性や、らい予防法の隔離規定を長年廃止しなかった国会議員の過失も認定。最高裁で係争中の別の裁判などに影響することへの懸念もあり、政府内には控訴せず判決を確定させることはできないとの意見が強かった。今後、政府は元患者家族への謝罪のほか救済制度づくりなどを進めるが、調整が難しい課題も多い。

 差別解消へ まず一歩
 熊本地裁の判決は、政府が元患者に対する不必要な隔離政策を続けたことで、家族までまもが偏見・差別を受ける社会構造が形成され、「個人の尊厳にかかわる人生被害」が生じたと認定した。 政府が判決を受け入れることは、家族らの「人生被害」を償い、偏見や差別をなくす責務を負うことを意味する。

 原告弁護団共同代表の徳田靖之弁護士が国に求めるのは、「啓発活動を根本から見直す」ことだ。「ハンセン病は伝染力がきわめて弱く、患者と接触しても感染の心配はほとんどない」といった「正しい知識」の普及だけでは不十分で、「隔離政策を続けたことで、『恐ろしい伝染病』という偏見を社会に植えつけた国の加害責任をきちんと教えなければならない」という。

 判決も、正しい知識の必要性を強調し、啓発活動を怠った国を批判した。ただ、忘れてはいけないのは、就学拒否、結婚差別、就労拒否などの具体的な被害は、直接的には国ではなく、地域や学校、職場などでの個人の振る舞いによって生まれたことだ。患者やその家族を排除してきた社会の構造を改めるには、社会を構成する一人ひとりの行動も求められている。

(編集委員・北野隆一)


◆首相「異例」判断  朝日新聞 2019(令和元)年7月10日(2面)
  国の責任を広く認めた判決  政府内に反対 控訴準備も  

 政府内の反対にもかかわらず安倍晋三首相が決断した背景には、18年前の小泉政権時代の経緯もある。

 2001年5月、ハンセン病患者への隔離政策をめぐり国が敗訴した訴訟で、当時の小泉純一郎首相が政府内の反対を押し切って控訴しなことを決断。元患者と直接面会し、のちに元患者に補償金を支払う「ハンセン病補償法」が成立した。
 安倍首相は当時の官房副長官。首相周辺は「そばで見ていたから、ハンセン病に対する首相の思い入れは強い」と明かす。
 小泉元首相が控訴断念を決断した直後の朝日新聞の世論調査では、内閣支持率が過去最高の84%を記録した。安倍首相はこの「成功体験」を目の当たりにしている。
 

◆ハンセン病家族へ賠償確定 
  首相談話発表
「心からお詫び」  朝日新聞 2019(令和元)年7月13日(1面)

 安倍晋三首相は12日、家族への「お詫び」を含む談話を発表し、控訴しないことを正式に決めた。原告団も同日、控訴の見送りを表明した。元患者家族に総額3億7675万円の支払いを命じた熊本地裁判決が確定。これで2016年に始まった訴訟は終結する。


政府声明 判決の問題点指摘
  <首相談話 (骨子)>
◆極めて異例の判断だが、あえて控訴を行わない
◆家族にも極めて厳しい偏見、差別が存在した
◆政府として深く反省し、心からおわびする
◆家族と直接お会いして、気持ちを伝えたい
◆確定判決に基づく賠償を速やかに履行する
◆訴訟への参加・不参加を問わず、家族を対象とした新たな補償措置を講ずる
◆人権啓発、人権教育などの強化に取り組む
  <政府声明 (骨子)>
◆熊本地裁判決には法律上の問題点がある
◆厚相、法相、文相の責任は時期が受け入れられない
◆行政庁の政策的裁量を極端に狭く捉えている
◆国会議員の責任は認められない
◆消滅時効の解釈はゆるがせにできない

◆ハンセン病救済 残る課題 
  原告側、首相談話を評価  
朝日新聞 2019(令和元)年7月13日(2面)

 「心からお詫び申し上げる」と謝罪する首相談話と、判決を強く批判する政府声明を同時に発表。補償の制度づくりや差別解消への取り組みなど、課題は多い。

 熊本地裁判決をめぐる、政府と弁護団の立場 
   熊本地裁の判決  政府声明  弁護団の声明
 国の責任 厚生相は1960年以降、 96年までらい予防法を廃止しなかった責任がある。 厚相、法相、文相はその後も 2001年まで偏見差別を取り除く措置を怠った責任 らい予防法廃止後も責任を認めた点は、元患者に対する国の責任を認めた01年の熊本地裁判決と認定が異なり、受け入れられない。行政の裁量も狭すぎる 01年の判決は、偏見差別を取り除くための厚相の義務がらい予防法廃止をもって終了するとは判示しておらず、今回の判決との間に齟齬(そご)はない
 国会議員の責任 違憲が明白だった65年以降、96年までらい予防法の隔離政策を廃止しようとしなかった「立法不作為」の責任がある  最高裁判例では、立法不作為は国会が正当な理由なく長期にわたって立法措置を怠った場合に限られ、今回は該当しない  判決は、最高裁判例の枠組みに従って国会議員の不作為を認めており、判例に違反しない正当な判断だ
 損害賠償請求権が、不法行為を知ってから3年で消滅する時効の起算点 別の家族が鳥取地裁に起こした訴訟の判決が15年に言い渡され、そのことを弁護士から指摘された時点にあたる 特定の判決の後の弁護士からの指摘を起算点とする解釈は判例に反する。 国民の権利・義務関係への影響があまりに大きい  判決は、訴訟の特殊性を踏まえ、損害や加害行為を認識することが著しく困難だったと判断して起算点を決めており、判例に反しない


 熊本地裁判決のポイント
   権利侵害・損害を認定  慰謝料  権利侵害・損害を認めず
 偏見差別を受ける立場にあったか  本人が2001年以前に患者の家族だと認識(具体的に差別を受けた経験を問わず)  一律30万円  本人が02年以降に患者の家族だと認識
 家族の関係づくりが妨げられたか  療養所に入った患者の親・子・配偶者・兄弟姉妹  親子・配偶者は100万円、兄弟姉妹のみは20万円  患者のおい・めい・孫、成人後に親が入所など

 政府は首相談話とあわせて政府声明も公表した。法的拘束力はないが、判決に「民法の解釈の根幹にかかわる問題点」があったと主張する内容。法務省幹部は「法的な安定性への影響が大きすぎる。個人的には、今も控訴すべきだとの思いは変わらない」と明かす。
 
 政府声明が地裁判決で問題としたのは①らい予防法が1996年に廃止された後も、偏見や差別を取り除くための措置を怠った厚生相らの責任認定②らい予防法を廃止しなかった国会議員の責任認定③不法行為への賠償を請求する権利が消滅する3年間の時効の起算点――だ。
 このうち②は、元ハンセン病患者への隔離政策に関して国に賠償を命じた、2001年の熊本地裁判決を確定させた際に出した政府声明と内容が重なる。ただ、①については「01年の判決と異なる判断で、受け入れることができない」と断じた。
 地裁判決は③について、別の元患者家族が鳥取地裁に起こした訴訟の一審判決が言い渡された15年9月に着目し、「この判決後に弁護士から指摘を受け、原告らが国の不法行為を初めて認識した」と判断した。法律の専門家が特に注目していた点で、政府も強く反論した。
 法務省幹部は「弁護士から伝えられた時点を起算点と認めれば、消滅時効の意義がなくなる。国民の権利・義務関係の安定を揺るがせかねない」と語る。 結果的に、首相談話と政府声明は正反対の立場から判決をとらえているかのように読める内容となった。
 


  ハンセン病家族訴訟 首相談話 (全文)

 本年6月28日の熊本地方裁判所におけるハンセン病家族国家賠償請求訴訟判決について、私は、ハンセン病対策の歴史と、筆舌に尽くしがたい経験をされた患者・元患者の家族の皆様の御苦労に思いを致し、極めて異例の判断ではありますが、敢(あ)えて控訴を行わない旨の決定をいたしました。

 この問題について、私は、内閣総理大臣として、どのように責任を果たしていくべきか、どのような対応をとっていくべきか、真剣に検討を進めてまいりました。ハンセン病対策については、かつて採られた施設入所政策の下で、患者・元患者の皆様のみならず、家族の方々に対しても、社会において極めて厳しい偏見、差別が存在したことは厳然たる事実であります。この事実を深刻に受け止め、患者・元患者とその家族の方々が強いられてきた苦痛と苦難に対し、政府として改めて深く反省し、心からお詫(わ)び申し上げます。私も、家族の皆様と直接お会いしてこの気持ちをお伝えしたいと考えています。

 今回の判決では、いくつかの重大な法律上の問題点がありますが、これまでの幾多の苦痛と苦難を経験された家族の方々の御苦労をこれ以上長引かせるわけにはいきません。できるだけ早期に解決を図るため、政府としては、本判決の法律上の問題点について政府の立場を明らかにする政府声明を発表し、本判決についての控訴は行わないこととしました。その上で、確定判決に基づく賠償を速やかに履行するとともに、訴訟への参加・不参加を問わず、家族を対象とした新たな補償の措置を講ずることとし、このための検討を早急に開始します。さらに、関係省庁が連携・協力し、患者・元患者やその家族がおかれていた境遇を踏まえた人権啓発、人権教育などの普及啓発活動の強化に取り組みます。

 家族の皆様の声に耳を傾けながら、寄り添った支援を進め、この問題の解決に全力で取り組んでまいります。そして、家族の方々が地域で安心して暮らすことができる社会を実現してまいります。


 
  政府声明 (全文)

 政府は、令和元年6月28日の熊本地方裁判所におけるハンセン病家族国家賠償請求訴訟判決(以下「本判決」という。)に対しては、控訴しないという異例の判断をしましたが、この際、本判決には、次のような国家賠償法、民法の解釈の根幹に関わる法律上の問題点があることを当事者である政府の立場として明らかにするものです。

1 厚生大臣(厚生労働大臣)、法務大臣及び文部大臣(文部科学大臣)の責任について

 ①熊本地方裁判所平成13年5月11日判決は、厚生大臣の偏見差別を除去する措置を講じる等の義務違反の違法は、平成8年のらい予防法廃止時をもって終了すると判示しており、本判決の各大臣に偏見差別を除去する措置を講じる義務があるとした時期は、これと齟齬(そご)しているため、受け入れることができません。

 ②偏見差別除去のためにいかなる方策を採るかについては、患者・元患者やその家族の実情に応じて柔軟に対応すべきものであることから、行政庁に政策的裁量が認められていますが、それを極端に狭く捉えており、適切な行政の執行に支障を来すことになります。また、人権啓発及び教育については、公益上の見地に立って行われるものであり、個々人との関係で国家賠償法の法的義務を負うものではありません。

2 国会議員の責任について
  
 国会議員の立法不作為が国家賠償法上違法となるのは、法律の規定又(また)は立法不作為が憲法上保障され又は保護されている権利利益を合理的な理由なく制限するものとして憲法の規定に違反するものであることが明白であるにもかかわらず、国会が正当な理由なく長期にわたってその改廃等の立法措置を怠る場合などに限られます(最高裁判所平成27年12月16日大法廷判決等)。
 本判決は、前記判例に該当するとまではいえないにもかかわらず、らい予防法の隔離規定を廃止しなかった国会議員の立法不作為を違法としております。このような判断は、前記判例に反し、司法が法令の違憲審査権を超えて国会議員の活動を過度に制約することとなり、国家賠償法の解釈として認めることはできません。

3 消滅時効について

 民法第724条前段は、損害賠償請求権の消滅時効の起算点を、被害者が損害及び加害者を知った時としていますが、本判決では、特定の判決があった後に弁護士から指摘を受けて初めて、消滅時効の進行が開始するとしております。かかる解釈は、民法の消滅時効制度の趣旨及び判例(最高裁判所昭和57年10月15日第二小法廷判決等)に反するものであり、国民の権利・義務関係への影響が余りに大きく、法律論としてはこれをゆるがせにすることができません。



◆ハンセン病家族に謝罪 
  首相「心から深くおわび」  朝日新聞 2019(令和元)年7月25日(1面)

 安倍晋三首相は24日、首相官邸で原告らと面会し、「政府を代表して心から深くおわび申し上げます」と謝罪した。政府は同日、家族への補償や差別解消に向けた原告らとの協議を始めた。早ければ秋の臨時国会で必要な法整備を議員立法で目指す。
 政府と原告らとの非公開の協議では、補償の対象範囲や金額が焦点になる。判決では、2002年以降に、家族に患者がいると認定した原告の請求は棄却。家族の関係づくりが妨げられた被害も、患者と家族が親子、配偶者、兄弟姉妹の関係にしか認めず、慰謝料が30万~130万円と差がついた。

 原告団は、一律の補償を求めている。根本厚労相は協議後、弁護団と厚労省の担当者との実務的な話し合いを月内に始め、補償の議論を急ぐ考えを明らかにした。また超党派の議員懇談会もこの日、総会を開催。森山裕会長(自民)は、「秋の国会に向けて精いっぱい努力させていただき、(原告団からの)議員立法でという提案も真摯に受け止める」と話し、協議の結果を踏まえ、元患者に対する補償金支給と名誉回復のための二つの法律に家族も加えるよう、秋の臨時国会で改正を目指す考えを明らかにした。


◆ハンセン病家族補償 対象拡大
  最大180万円 法 案提出へ   朝日新聞 2019(令和元)年10月24日(1面)

 ハンセン病の元患者の家族に対して国に賠償を命じた熊本地裁の判決を受け、家族への補償法案を検討していた超党派の議員懇談会の作業部会が23日、開かれ、補償額を判決より増額し、1人当たり最大180万円とする法案の骨子案をまとめた。判決で棄却された人や裁判に参加していない人も補償する。議員懇談会総会で了承のうえ、開会中の臨時国会に議員立法として提出する。

元患者家族への補償内容の概要
・補償額は親子、配偶者は180万円、きょうだい、同居していたおい、めい、孫、ひ孫らは130万円
・1972年以前の返還前の沖縄の元患者の家族らも等しく補償
・熊本地裁判決で棄却された人、裁判に参加していない人も対象 


◆ハンセン病補償 急いだ決着   朝日新聞 2019(令和元)年10月24日(2面)
 ハンセン病元患者の家族に対し、熊本地裁判決よりも対象を広げて補償する仕組みがまとまった。今後は元患者やその家族に対する偏見、差別を解消するための具体策を政府が示すことが求められる。

判決より補償額引き上げ 02年以降認識の家族対象 米軍施政下の沖縄も同額
 判決では、沖縄とそのほかの地域、患者家族と知った時期などで賠償額に差がついたが、今回示された案では補償の対象になった。
 6月の熊本地裁の判決では、2001年に元患者らへの賠償を国に命じる判決が確定し、政府も謝罪。それ以前に元患者の家族と認識した原告は、偏見や差別を受ける立場にあったと認定した。一方、02年以降は国に国家賠償法上の違法性がないとし、同年以降に元患者の家族と認識した20人の原告の損害請求を棄却した。
 また、家族の関係づくりが妨げられた被害について、米軍施政下時代の沖縄の療養所に収容された元患者の家族のほか、療養所から元患者が人目を忍んで自宅に帰宅していたケースなど実質的な交流があった場合も被害を認めなかった。


◆ハンセン病問題 取り組みは道半ばだ  朝日新聞 社説 2019・10・27
(抜粋)
 ハンセン病の元患者に対する隔離政策で、家族も差別や偏見にさらされてきた。
 1996年まで約90年間も続けた隔離政策について、国が01年に元患者への謝罪と補償に踏み切ってから18年。ようやく家族にも償うことになったが、差別と偏見をなくす取り組みはなお道半ばである。
 
 今月初めには、裁判の原告側と元患者、厚生労働、文部科学、法務の各省で作る協議の場が立ち上がった。様々な世代、分野の有識者の意見も聞きながら話し合いを重ねてほしい。
 元患者を隔離してきた各地の療養所は、資料館を整えながら地域との交流を進め、施設の保存・活用策を模索しているところもある。人権について考えると場していくための具体策なども検討課題になるだろう。

 熊本地裁判決は、家族が直面してきた就学や就労の拒否、村八分、結婚差別などを「人生被害」と指摘した。元患者と家族の心の傷を癒し、その関係を取り戻せるよう、社会全体での取り組みを止めてはならない。



ハンセン病家族補償法成立

朝日新聞 2019(令和元)年11月16日


ハンセン病元患者の家族に対し、1人あたり最大180万円の補償金を支給する補償法と、名誉回復のための改正ハンセン病問題基本法が
2019(令和元)年11月15日、参院本会議で全会一致で可決、成立した。22日にも施行され申請を受け付け、
早ければ、2020(令和2)年1月末に補償金の支給が始まる。

対象者は約2万4千人、費用は約400億円と推計される。




2.4万人対象、1月末にも支給
 補償法は前文で、国による患者の隔離政策で家族も偏見と差別を受け、多大な苦痛と苦難を強いられてきたと指摘。「国会、政府はその悲惨な事実を悔悟と反省の念を込めて深刻に受け止め、深くおわびする」とした。

 補償金は、元患者の親子、配偶者に1人当たり180万円、きょうだいや元患者と同居していたおい、めい、孫、ひ孫らに130万円を支給する。内縁の配偶者のほか、戦前の台湾、朝鮮半島に住んでいた人も対象とする。厚生労働省によると、対象者は約2万4千人、費用は約400億円と推計される。
 請求期限は施行日から5年。請求者は厚労省に請求書と、ハンセン病療養所の患者台帳や診療録、戸籍などの資料を提出し、認定を受ける。資料で確認できない場合は、外部有識者でつくる審査会が審査。改正法は、名誉回復の対象に元患者の家族を新たに加えた。

 厚生労働省は今後、補償制度について同省のホームページ、自治体、ハンセン病療養所、元患者の団体などを通じて周知を図る。周囲の偏見や差別を恐れ、補償金の請求をためらう人がいるとの指摘がある。厚労省は請求は自治体を介さず、同省の窓口に一元化。認定審査も守秘義務を課した職員で対応し、個人情報が漏れないように対応を取る。

 ハンセン病家族訴訟弁護団は「家族被害の全面解決に向けて大きな前進をもたらすものとして高く評価する」としたうえで、「偏見差別はなお、社会に深刻な形で根付いている。問題の最終的な解決には、偏見差別を一掃することが何よりも切実に求められている」とのコメントを出した。

 家族訴訟は、患者に対する国の誤った隔離政策で差別を受けて家族の離散などを強いられたとして、元患者の家族561人が国に損害賠償と謝罪を求めた。熊本地裁は6月、国の責任を認め、総額3億7675万円の支払いを命じる判決を言い渡した。

 《補償法の骨子》
○国会と政府の反省とおわび、家族等への偏見差別を国民とともに根絶する決意を明記
○らい予防法が廃止される1996年3月末までにハンセン病を発病した元患者の家族のうち、親子、配偶者(内縁を含む)に1人あたり180万円、きょうだい、
同居していたおい、めい、孫、ひ孫らに130万円を支給
○補償金の請求は厚生労働省に行い、認定を受ける
○請求期限は法施行後5年間
○請求後に死亡し、認定された場合は遺族や相続人に支給

(土肥修一)






ハンセン病とは

朝日新聞 2019(令和元)年11月16日


国がハンセン病患者を施設に隔離する政策は、20世紀初めから約90年に及んだ。
日本社会にはびこった差別や偏見は患者・元患者だけでなく家族にまで広がった。
差別の連鎖はなぜ断ち切れなかったのか。






官民一体の隔離政策
  1900年の明治政府の調査では患者は約3万人。家族への差別を避けるために、家を出て放浪する患者も多かった。放浪中の貧困の患者を隔離するため、政府は07年、法律「癩(らい)予防に関する件」をつくり、計1100人分の公立療養所が東京や熊本など5カ所に置かれた。

 患者を減らすために、隔離は当時有効な手段と考えられていた。だが、病状が改善しうることや人道的な配慮から、国際的には限定的に運用する方向に向かった。一方、日本は「不治の病」との前提で、すべての患者の収容をめざす方へ動いた。政府は31年、癩予防法を制定。1万人を隔離し、20年間で患者を根絶させる計画を進めた。「日本国民は甚だしく癩感染の危険にさらされている」。政府は「癩の根絶策」でこう強調し、地域社会から患者を排除する官民一体の「無らい県運動」も本格化させた。

 収容された患者は、土木工事や重傷者の看護といった労働を強いられた。断種手術も行われた。所長には裁判なしで処罰できる「懲戒検束権」が与えられ、逃走や反抗した患者は監禁室に収監された。38年には栗生楽泉園(群馬県草津町)に「特別病室(重監房)」がつくられ、9年間で延べ93人が送り込まれ、22人以上が寒さや自殺で死亡したとされる。


治療薬できてもなお
 戦後、米国で発見された治療薬プロミンが導入され、その後も続々と新薬が登場した。だが、日本は方針転換できないまま、世界の動きから取り残された。

 政府は53年、癩予防法を引き継ぐ「らい予防法」を制定。それに先立って、国会で証言した国立療養所の3人の園長は、いずれも隔離政策の強化を主張した。林芳信・多摩全生園長は約6千人が未収容だとして「施設を拡張していかねばならない」などと述べた。
 無らい県運動も継続され、偏見、差別が深刻化する。山梨県では51年、患者と家族の9人が死亡する心中事件が起き、熊本市では54年、黒髪小学校児童の保護者らがハンセン病の親と離れて暮らす児童4人の入学に反対して社会問題になった。

 患者の全国組織「全患協」は53年には激しい反対闘争を起こし、その後もくり返し、差別的な法律の改正を求めた。世界保健機関(WHO)の専門委員会も60年、ハンセン病を他の伝染病と同じ分類に置くべきで、これらの原則に合わない法律は廃止すべきだとする報告書を公表した。
 一方、厚生省は療養所の環境や福祉の改善に追われ、予算を引き出すために法律の隔離条項を強調する手法を使っていた。らい予防法の廃止は96年。2005年に日弁連法務研究財団が公表した報告書は「強制隔離と処遇改善の『表裏一体論』が厚生省で支配的」だったことが、法律の改廃が遅れた基本的理由と指摘している。


国相手に二つの訴訟
 らい予防法が廃止されても、国の隔離政策によって生まれた差別や偏見が解消されたわけではなかった。

 元患者たちは1998年、名誉回復や国の謝罪などを求めて、熊本地裁に訴訟を起こした。2001年5月の判決は、隔離政策を憲法違反とし、国の責任を認めた。政府は控訴を断念し、当時の小泉純一郎首相は談話で謝罪。患者・元患者1人あたり800万~1400万円を支給するハンセン病補償法が成立した。

 患者の家族たちも隔離政策で離散を強いられ、入学や就職を拒まれるなどしてきた。09年施行のハンセン病問題基本法は元患者の名誉回復を国に義務づけたが、家族は取り残されたままだった。16年2月には元患者の家族がを国の責任を問う初の集団訴訟を熊本地裁に起こした。
 19年6月の判決は、国の隔離政策が家族を国民から差別される立場に置く社会構造を生み出したと指摘した。

 政府は控訴を断念し、安倍晋三首相は原告に謝罪。10月には家族1人あたり130万円~180万円を支給するハンセン病家族補償法案の骨子が固まった。




ハンセン病 1834人の解剖録
 岡山・長島愛生園 1931~56年  朝日新聞 2021年3月26日

死亡者8割に実施
 瀬戸内海の長島にある日本初の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」(岡山県瀬戸内市)で、開園翌年の1931~56年に死亡した入所者のうち、少なくとも1834人の遺体が解剖されていたことを示す「解剖録」が確認された。
 愛生園によると、この間の死亡者の8割を超え、専門家は「入所者の解剖が常態化していたことを具体的に裏付ける資料」と話している。療養所の入所者の解剖がこれほど大規模に確認されるのは異例。

 解剖録は計32冊あり、解剖の日付や入所者の名前、手書きの検体図などが記されていた。1人につきA4判で数枚程度。ドイツ語と日本語など項目ごとに丁寧に書かれ、臓器の状態など色で塗って説明したものもある。44年末までに死亡者の約97%が解剖されていたいう。
 園は、園内の医師が、診断や治療に誤りがなかったかの検証や、ハンセン病の研究のため、解剖を行っていたとみている。

本人同意ない例も
 園によると、非常勤職員の1人が10年以上前、廃棄予定だった解剖録を「入所者の生きた証」と考え、園の許可を得た上で保管。園内の一室で人数などを独自に調べ、昨年末、調査結果を園側に報告した。

 報告を受け、園は入所者らの解剖への同意について調べるため、同意を示す署名や母印がある「死亡者関係書類」を調査。その結果、同意の日付の多くは死亡日の直前、3~7日前だった。園は「危篤状態の入所者からどう同意をとったのか疑問が残る」としている。
 また、存命の入所者の一人は朝日新聞の取材に(懇意の入所者が亡くなった時)園側から代理での同意を求められて応じた」と証言。園によると、当時、本人の同意がないまま、第三者から同意を取るケースもあったという。

 国の第三者機関「ハンセン病問題に関する検証会議」は2005年の最終報告書で、ハンセン病療養所での解剖について言及。1920年頃には解剖が始まっていた可能性や、戦後以降も解剖は常態化され80年頃まで続いていた、と指摘した。
 検証会議で副座長をつとめた内田博文・九州大名誉教授(刑事法)は、解剖に関する調査は各施設の報告がベースで「検証は十分でなかった」と説明。確認された解剖録は、解剖実態を具体的に示す貴重な資料だとしたうえで「同意は事実上強制だった可能性もある。(解剖録は)ハンセン病患者の人権を軽んじた歴史の一端を考える資料にもなる」と話す。

(田辺拓也)