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共生社会の実現と
インクルーシブ教育について



2019.2.27/2020.3.30/2021.11.23/2021.12.12/2022.2.11
/2023.10.9/2024、1.28





 共生社会が実現すれば、おのずとインクルーシブ教育は実現します。

 本当に共生社会を実現し、インクルーシブ教育を実現するには、何よりもまず現状を直視するとともに、人の生き方とか生きがいに関わるところの教育の意義と福祉の意義について改めてよく考えてみることだと思います。

 それはいわゆる “合理的配慮” の問題を考えることにも通ずることだと思います。




共生社会の実現と     
   障害児者の教育・福祉


「障害のある人もない人も共に」
とは 


共生社会/インクルーシブ教育と
「合理的配慮」






共生社会の実現と     
   障害児者の教育・福祉

 共生社会の実現やインクルーシブ教育について考えるうえで、これまでの日本の障害児者の教育や福祉を振り返ってみることが大切だと思います。
 今日に至るまでの障害児者に関する教育や福祉の諸問題を概観すれば、それはいわゆる障害(者)をどのように受け止めるかということころから始まっているといえます。

 いわゆる「障害」を直視すること、そして障害を障害としてどう受け止めるかということ、そこから共生社会の実現への第一歩が始まるといってよいのではないでしょうか。
 国連総会で採択された1971年の「知的障害者の権利宣言」と1975年の「障害者の権利宣言」は改めて重要視すべきものと考えます。

 教育を受ける権利を保障するということでは、障害児の教育が義務制になった意義は大きいと思います。しかし義務教育を修了すればそれでよいということではないわけで、何のための義務教育か、誰のための義務教育かというところが重要です。また義務教育としてどのようなことを、どのような観点で行うかということが明確でなければなりません。それは義務教育終了後をどのように見据えるかということでもあると思います。

 日本の障害児者の教育や福祉に関する本格的な取り組みは戦後から始まったといってよいと思います。戦後に制定された日本国憲法によって、基本的人権及び国民の生存権、国の保障義務、教育を受ける権利と受けさせる義務などが定められ、教育も福祉もそれなりに充実して現在に至っています。
 しかし障害児(者)の教育や福祉をめぐる問題や課題の本質は、あまり変わってはいないと思います。それはなぜかという点がきわめて重要だと考えます。

 おそらくそれは、障害児者の一生をどのように考え、どのように見据えるかという視点を欠いたままのステレオタイプの思考から脱皮できないでいるためではないかと思います。

 障害児教育の義務制は、教育を受ける側に対する十分な配慮を伴うものでなければならないわけですが、その配慮がともすると、教育を施す側の一方的な価値観や評価基準の枠にとらわれたものになりがちであり、その結果として素晴らしい理念や言葉を並べてはいるが、具体的、根本的な解決には至らないままの施策の中で、教育を受ける側は不本意ながらもそれに甘んじてきたといってよいのではないかと思います。

 人の一生は、学校を卒業したらそれでよいというものではありません。学齢期よりもずっと長い学校卒業後をどのように暮らすか(暮らせるか)、ということはきわめて重大なことであり、障害児者の支援においても人の一生をどのように考えるかという視点が重要です。
 なぜなら人の生き方や生きがいは多様であり、その一生はかけがえのないものであり、障害の有無に関係なく尊重されるべきものだからです。
 
 特別支援教育というからには、特別な支援を必要としているその状態や程度に応じた適切な教育の内容や教育方法、教育の場、の工夫や設定ができるような教育制度でなければなりません。また学校だけが教育の場ではないという柔軟な認識に基づく教育施策の充実を図ることが必要だと思います。
  障害のある子どももない子どもも分け隔てなく「学ぶ権利」を同等に保障するための教育環境を整備するという意図が、「共に」を強調することで、何もかも同じことを同じようにしなければならないというような誤解が生じ、混乱を招いているということがあるのではないでしょうか。



「障害のある人もない人も共に」
とは 

 「障害のある人もない人も共に」よく生きるというためには、互いの関係が無理なく理解し合えるような関係でなければなりません。
 障害の有無に関係なく人は人であり、同じ人として生きる権利を同等に有するわけですから、そこには人それぞれの価値観や人生観を伴う問題が介在します。その点を踏まえた上で互いにどのように理解し合い、納得し合い、認め合うことができるかどうかというところの問題があるわけですが、そもそも一般社会における価値観や評価基準、人間関係が通用しにくい問題を抱えている状態が障害を有するということだと思います。

 障害のある人とない人が互いに理解し合うことができなければそこに無理が生じ、その関係はむずかしいことになるわけですが、そのむずかしさの度合いこそが障害の内容やその程度や状態に関係することになります。
 したがって一般的な価値評価や一般的な人間関係を基準とする自立支援、就労支援、生活支援で解決しようとこだわるだけでは無理は解消しないと思います。知的障害や発達障害の状態やその程度によっては、そうした無理を抱えたままの状況が続いてきたといってよいかもしれません。

 障害のある人もない人も共にとはいっても、それは障害のある人とない人が何もかも同じことを同じように一緒にすることではないはずであるにもかかわらず、障害とは何かをよく理解しないままの人情論や人権論のなかで勘違いや誤解による混乱が生じているようなことが往々にしてあるのではないでしょうか。
 障害の多様性についての具体的な理解認識が不十分なまま、〝障害〟と一括りにして、「障害のある人もない人も共に」ということを強調する標語が掲げられて、実態が伴わない状況がこれまで続いてきたように思います。

 障害があるから無理だというよりも、無理があるからそれが障害だという考え方や視点が障害者支援においては大切だと思います。
 障害の特質をすべて承知した上で、どのように共に生きるか(生きられるか)を具体的に考えるということでなければ、共に生きるという支援にはならないであろうし、障害(者)問題の根本的な解決にはならないと思います。




共生社会/インクルーシブ教育と
「合理的配慮」

 日本の現状において、「共生社会」や「インクルーシブ教育」を考える上で、障害者権利条約と「合理的配慮」の考え方がとても重要だと思います。



世界人権宣言と障害者の権利宣言

共生社会とインクルーシブ教育を考える

障害者の権利条約と「合理的配慮」について

ノーマライゼーションと教育・福祉

日本の障害者施策と「障害者権利条約」の批准について

日本の障害児(者)の教育と福祉

特殊教育から特別支援教育へ 障害児教育の義務制の意義と課題


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日本の障害児(者)の教育や福祉をめぐる
問題、課題を考察し、今後を展望

田研出版 3190円 A5判 316頁




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