戦後日本の
障害者施策の変遷と現状



2025.1.31/2025.2.18/2025.3.15




日本の障害児者に関わる教育や福祉の諸施策が整うのは戦後です。

日本における障害(者)観は世界的な動向とも関連しつつ変化し、
障害者支援に関する考え方や取り組み方も変化し、現在に至っています。

しかし戦後80年となる今、
日本の障害児者に関わる教育理念・福祉理念は確かなものといえるでしょうか。
旧態依然の諸問題、諸課題を抱えているというのが現状ではないでしょうか。

文化国家日本として、先を見据えた抜本的見直しが必要ではないかと考えます。





◇戦後の教育法制度と障害児者の福祉

◇今後をどう考えるか
《障害者支援施設とグループホームについて》
《障害者の就労支援事業について》
《障害者福祉について》






◇戦後の教育法制度と障害児者の福祉

 戦後、小学校6年と中学校3年の9年の学校教育を義務教育とする教育法制度が発足しました。これにより障害児の教育も義務制になりますが、学校教育法は、障害の有無で学校を分けて、障害種別に、盲学校、聾学校、養護学校(知的障害・肢体不自由・病弱が対象)に区分し、それらを「特殊教育諸学校」という括りで、そこでの教育を「特殊教育」と称してきました。その後、2006(平成18)年に、障害種別の学校区分をなくして、いわゆる学習障害や自閉症等の特別な教育的ニーズを抱える「発達障害」も含め、適切な教育指導と必要な支援を行うという目的で教育法制度の改正があり、2007(平成19)年4月より特殊教育諸学校は「特別支援学校」に一本化され、特殊教育は「特別支援教育」に改められて現在に至っています。

 しかし知的障害、肢体不自由、病弱(身体虚弱を含む)を対象とする養護学校の義務制が実施されたのは、戦後の教育法制度発足から32年目の1979(昭和54)年4月からです。それは戦後の混乱や財政事情等に加え、対象となる障害児童の実態調査や障害児教育の実践研究等も不十分であったことから、障害児教育の義務制の施行期日は別に定めるとされていたからです。
 また養護学校の義務制の実施に向け、知的障害のための学習指導要領の作成段階で大変難航したという経緯があります。それは学校教育法が、養護学校(現:特別支援学校)の目的を、一般的な学校で行う障害のない児童に対する教科学習中心の教育内容や方法に準ずることを規定していたからです。
 こうした経緯からいえることは、日本の義務教育の制度は、知的障害等の障害児にも配慮した教育法制度というよりも、一般の学校教育を優先する形で、教科学習中心の学力優先の教育制度として進展してきたということになります。

 そもそも日本の公教育制度は、富国強兵・殖産興業を目指す明治新政府によって始まったわけです。それが障害者への配慮を欠いた立身出世のための学力を優先する教育観となって、そのまま戦後日本の教育法制度の根底に残されてきたというこだと思います。戦後80年となる今、改めて教育とは何かを考え直してみるべきであり、教育法制度の抜本的見直しも必要だと思います。
 障害児教育の義務制施行に伴い、繰り返されてきた問題として、教育の内容や方法をめぐる問題、 学校卒業後の生活や就労支援に関する問題、さらに老後や親亡き後の問題等がありますが、これらは当初から変わってはいないといって過言ではありません。これらの問題は、「インクルーシブ教育」や「共生社会」について考える上で無関係なことではないはずです。

 一方、行政としての障害者福祉の取り組みが本格化するのも戦後です。それは戦災孤児や浮浪児、貧困家庭の児童や非行児童等への対応が急務であった1947(昭和22)年に「児童福祉法」が制定されたことにより始まり、1951(昭和26)年の「社会福祉事業法」の制定により、行政の措置として進展することになりますが、総合的な障害者に関する施策の基盤が整うのは、1970(昭和45)年に「心身障害者対策基本法」が制定されてから以降のことです。

 児童福祉法は、広く児童全体の福祉だけでなく、心身に障害や行動上の問題のある児童や家庭環境上の問題などで保護を要する児童等の社会的擁護というねらいもあり、児童福祉法の制定により、精神薄弱(現:知的障害)児施設の整備が図られます。
 しかし、児童福祉法の対象となる児童とは18歳未満をいうわけで、施設に在所できる期間は20歳に達するまでは認められてはいたものの、知的障害等の場合は、18歳ないし20歳で独立自活の能力を身につけて、児童施設を出ることを期待してもなかなか難しかったことから、法の一部を改正し、都道府県知事は、その者が社会生活に順応できるようになるまで児童施設に在所させることができるという規定を設け、入所後の年齢制限を設けないことにしたことから、次第に、児童施設では年齢超過者が増加することになります。それが問題となって親の会の運動もあり、成人の知的障害者施設が設置されることになりますが、そうした成人施設の設置根拠となる法制度がなかったことから、社会福祉事業法の一部を改正し、さらに「精神薄弱者福祉法(現:知的障害者福祉法)」が制定されました。

 こうして障害者に関する諸施策が講じられるようになりますが、施策に一貫性がなく、各省庁が所管する障害の予防や医療、訓練、保護、教育、雇用の促進、年金の支給等の諸施策の基本となる事項を定め、その総合的な対応を図る必要から制定されたのが「心身障害者対策基本法」です。この法律は、障害者関係の諸施策の法制度上の基本となる法律として位置づけられ、国及び地方公共団体の責務を明確にし、心身障害者の定義づけをしたこと、調整機関として国(当時の厚生省)に中央心身障害者対策協議会、都道府県・指定都市に地方心身障害者対策協議会を設置したこと、などが法の意義として重要です。しかし心身障害者対策基本法の当初の「障害」についての規定は、心身の機能や形態面に着目した障害の捉え方であり、精神薄弱(知的障害)は法の対象に含めていますが、精神障害は法の対象外でした。

 日本における障害(者)観は世界的な動向とも関連しつつ変化し、障害者支援に関する考え方や取り組みも変化してきたわけですが、1981年の「国際障害者年」とそれに続く1983~1992年の「国連・障害者の十年」などを契機とする国際的な潮流を踏まえ、心身障害者対策基本法は1993(平成5)年に改正され、「精神障害」も法の対象に位置づけ、法律名も「障害者基本法」に改称されました。

 障害者基本法はその後、2004(平成16)年にも改正され、さらに2011(平成23)年の改正では、2006(平成18)年に国連で「障害者権利条約」が採択されたことが大きく関係しています。日本も障害者権利条約の批准に向けて国内法令等の整備を進め、2013(平成25)年12月4日に批准が正式に承認されました。
 条約の批准には国内法令との整合性を図る必要があり、 日本の国内法令等の整備が進んだ意義は大きいと思います。 障害者基本法の改正をはじめとし、障害者総合支援法の施行、障害者虐待防止法の施行、障害者差別解消法の施行などは障害者権利条約との整合性を図るためでもあったわけです。しかしその実効性という点では、問題や課題も多いのが現状だと思います。

 日本の障害者福祉に関わるサービスは、社会福祉事業法の下で、行政主導の「措置制度」によって提供されてきたわけですが、戦後を経て社会・経済状況や国民生活も変化し、それに伴い、福祉ニーズも多様化してきたということから、社会福祉の施策全般を見直すという「社会福祉基礎構造改革」により、社会福祉事業法は、2000(平成12)年6月に「社会福祉法」に改正・改称されました。 これにより、措置制度に代わる契約制度が導入され、行政の措置として提供されてきた福祉サービスは、サービスの提供事業者と利用者の契約にもとづくものとなり、そのサービスの利用料を支援する仕組みの「支援費制度」となりました。

 ところが支援費の財源問題などから障害者福祉に関わるサービスの事業体系を見直すということになり、厚生労働省は「今後の障害保健福祉施策について(改革のグランドデザイン案)」を発表しました。この改革案をもとに策定されたのが「障害者自立支援法」です。
 障害者自立支援法は、障害者の自立支援や就労支援に関する施策と、そのための財源を確保することを目的に制定されたはずであるにもかかわらず、障害者の実情を理解したものでなかったことから、「違憲」だとして大きな問題となりました。いったんは法の廃止が明言されたものの、そのための法改正があり、法律名も「障害者総合支援法」に改めて現在に至っています。


文部科学省:新学習指導要領について〈新学習指導要領の全面実施と 学習評価の改善について〉
 文部科学省初等中等教育局教育課程課
令和元年度地方協議会等説明資料

学習指導要領とは何か?

厚生労働省:障害者自立支援法のあらまし


◇今後をどう考えるか

 2022(令和4)年に、障害者権利条約の締約国である日本の取り組みに対する国連の障害者権利委員会による初めての審査があり、その審査結果と勧告が公表されました。勧告の内容には、インクルーシブ教育に関することや脱施設化政策、障害者の就労支援に関することなどが含まれています。

 インクルーシブ教育に関する勧告は、分離された特別支援教育を改めるようにという内容ですが、インクルーシブ教育とは、障害のある子どもとない子どもを単に一緒にすることでも、多様な教育的取り組みを否定するものでもないはずです。
 したがって日本の特別支援教育が否定されたというよりも、教育的支援を必要としている状態や程度に配慮した適切な就学相談や支援のための教育的環境としての条件整備に課題があるという受け止め方が大切ではないかと思います。換言すれば、それは障害者権利条約でいうところの「合理的配慮」に関わる課題といってもよいと思います。

 また令和4年12月の障害者総合支援法の改正は、脱施設化政策、障害者の就労支援に関することであり、国連の障害者権利委員会の勧告に関連することになると思いますが、法改正の趣旨として「障害者らの地域生活や就労の支援の強化等により、障害者等の希望する生活を実現するため、①障害者等の地域生活の支援体制の充実 ②障害者の多様な就労ニーズに対する支援及び障害者雇用の質の向上を推進する」としています。
 厚生労働省は令和5年2月に、施設や病院で過ごしている障害者数について2026年度末までに5%以上削減するという目標を決めています。そして関連施策として「地域生活支援拠点等整備」と「地域連携推進会議の開催」を掲げています。

 地域生活支援拠点等整備とは、障害者の重度化・高齢化や「親亡き後」を見据え、居住支援のための機能(相談、緊急時の受け入れ・対応、体験の機会・場、専門的人材の確保・養成、地域の体制づくり)を、地域の実情に応じた創意工夫により整備し、障害者の生活を地域全体で支えるサービス提供体制を構築するということです。
 地域連携推進会議の開催とは、障害者支援施設及び共同生活援助(グループホーム)の施設等で、外部の目を入れた会議を開催し、会議の構成員(利用者や利用者関係者、自治会・町内会・商店会の関係者、民生委員、学校関係者、地域で活動している関係者など)がグループホーム等の事業所を見学する機会をおおむね1年に1回以上設けることを令和7年度より義務化するということです。

 こうした取り組みは人間関係や地域社会との関係性の問題等とともに、自らの的確な意思表示という点に問題を抱える知的障害の場合などを考えると必要なことと思います。しかし端的に言えば、国が進める障害者の脱施設化政策(地域移行)とは、障害者が入所施設を出て、グループホーム等へ移行することであり、関連施策として「地域生活支援拠点等整備」と「地域連携推進会議の開催」を進めるということです。

 それは入所施設を「小規模・分散型」に転換を図る国の方針に沿うものだとしても、本当に障害者の地域生活の支援体制を整備するというのであれば、施設入所者数を削減する数値目標を掲げ、グループホーム等の増設を急ぐよりもまず先に、既存の障害者支援施設等をそのまま地域生活支援の拠点として活用できるような機能整備と専門的な人員配置により、社会資源として位置づける方策のほうが合理的、効果的、効率的で一般の人々にもわかりやすいと思います。こうした考えは障害者への配慮を欠くことになるのかどうか、改めて障害者の生活に関わる福祉サービスとは何かを考え直す必要があるように思います。


《障害者支援施設とグループホームについて》


 障害者が入所施設を出て、グループホーム等へ移行する施策が進められているわけですが、入所施設(障害者支援施設)とグループホームの大きな違いは、施設の規模とその運営主体にあります。大雑把に比較すると以下のようなことです。

 現在、社会福祉法の規定では、入所施設(障害者支援施設)は、第一種社会福祉事業に位置づけられ、その運営は、国・地方自治体、社会福祉法人が行うこととされています。1施設20~200名位の重度障害者(障害支援区分4以上、50歳以上の場合は区分3以上)が利用できる規模のものが一般的です。生活支援員、サービス管理責任者、施設長(管理者)が配置され、夜間を中心に排泄や入浴、食事などの介護や支援、日常生活に関する相談や助言などが主なサービス内容となっています。

 障害者グループホームは、社会福祉法で第二種社会福祉事業として規定されており、その運営はNPO法人や営利目的の株式会社等でもよいとされています。利用についての障害支援区分の定めはありませんが、障害の程度が中・軽度の障害者の利用に対応し、10名以下の利用が可能な規模が一般的です。世話人、生活支援員、サービス管理責任者、管理者が配置され、主なサービス内容は障害者支援施設における夜間の場合と大きな違いはないといってよいと思いますが、サービスの質的な面では運営事業者による差異はあると思います。

知的障害者等のグループホームが制度化されたのは1989(平成元)年です。当初のグループホームは、障害の程度が比較的軽度の人が、世話人等の支援を受けて日中は作業所などで働いて、夜は4∼5名で共同生活をする場でした。
 現在は、法の改正で、日中活動も支援する「日中サービス支援型」のグループホームが作られるようになりました。それは、入所施設を「小規模・分散型」に転換を図る国の方針に沿っているのかもしれませんが、最近は、建設業者が一般の集合住宅を建設するようにグループホーム用の建物を建てて、それを株式会社らの営利目的の事業者が借り受けて、家賃を払って運営するという形態が、事業者にとっては着手しやすいことから増えていると思います。しかし地域との関係性の問題があり、事業者の経営姿勢などが問題です。

 営利目的の事業者によっては、食材費の過大徴収や勤務実績のない職員が働いたように装い、「障害福祉サービス等報酬」を不正に請求するなどもあり、こうしたことが発覚し問題となって報道されました。こうした報道は広く一般の人々の意識を向ける意味でも重要であり、福祉サービス事業者に対する監視機能を果たすことにもなると思います。

 「障害福祉サービス等報酬」とは、国が定める公定価格にもとづいて国や地方自治体がサービス提供事業者に支払うもので、事業者にとって重要な経営資金となります。重度障害者支援などのサービス内容によっては報酬に加算か付くことで、その利益率は一般の事業や福祉サービス全体の平均よりも高いとされ、有利な事業とみなす営利業者が安易にグループホーム事業へ参入するのは問題だと思います。
 障害福祉サービス等報酬は、3年ごとに見直しがあり、改定される仕組みですが、報酬設定の考え方自体にも問題があるというのが現状です。



《障害者の就労支援事業について》

 障害者自立支援法(現:障害者総合支援法)の施行目的の一つに、障害者がもっと働けるようにするということがあり、従来の授産施設等のいわゆる「福祉的就労」の場は、就労移行支援事業と就労継続支援事業という新たな事業体系への転換が図られました。そして障害者の一般就労(企業就労)を目指す支援が強調され、福祉的就労の「工賃倍増5カ年計画」が打ち出されたりしました。しかしいずれも実際的には課題も多く、なかなかねらい通りにはいかないまま現在に至っているといってよいと思います。
 また法に基づく「就労支援A型事業所」で働く障害者が、解雇されたり、経営難による事業所の閉鎖が相次ぐなどの問題も起きています。こうした現状を直視することこそが今後の支援策を講ずる前提として何よりもまず重要なことだと思います。

 障害のある場合も、一般の企業らに就職でき、相応の賃金が得られるのであれば、それに越したことはない。したがって一般企業等への就労を目指す支援はよいとしても、就労の意味や価値を「企業就労」にのみおいた支援では無理が生じるということは直視すべき重要なことです。障害があるから無理が生じるというのが不適切な言い方だとするならば、無理が生じるということが障害であると考えるとよいと思います。

 障害の内容やその程度や状態によっては、どのような職業にも就けるということではなく、職種の制約を受けます。しかしそれは一般の人々にも職種によっては向き不向きがあるわけで、それと同じように考えればよいと思います。
 また障害の内容や状態によっては、働くということ自体よりもむしろ複雑な社会機構のなかでの複雑な人間関係を通しての就労ということに問題がある例も多いと思います。

 障害者にとって拠り所となる生活の場と同じように就労の場があるかないかは大きな問題ですが、そもそも就労とは、単に働く場があり、収入を得ることができればそれでよいということではないはずです。また一般的な就労が難しいという理由で就労支援事業を利用しているわけですから、当たり前のこととして「福祉的就労」という支援の場があり、その充実が図られるということでなければならないと思います。
 これまでに「福祉的就労」の場が果たしてきた機能や役割、そのための作業所等が増加し続けてきた理由等を改めて考えてみるということが、これからの障害者の就労支援を考える前提として大変大切なことだと思います。

 「福祉的就労」の意義とそのための支援の必要性があることは確かなことであり、そこに関わる人材の育成確保も重要な課題だと考えます。こうした課題には、福祉系の専門教育を受けた人材だけでなく、いろいろな分野の専門的知識や技術を身につけた、職人や技術者等がもっと関心をもって携わることができるような施策が講じられなければならないと思います。さらに日中活動の質的充実を図るためにはスポーツや芸術等の分野の人材の育成確保も必要だと思います。


《障害者福祉について》

 「措置制度」から「契約制度」への転換では、福祉サービスも一般の市場のような競争原理により、その質や量の向上が期待された経緯がありますが、そうした市場原理にはなじまないところに措置制度の意味もあったはずです。

 障害者福祉の問題は「人権」の問題です。人権の問題は「社会福祉」の問題です。社会福祉の問題は「社会保障」の問題です。文化国家というのであれば、何よりもまず、日本の実情を踏まえた日本流の障害者福祉に関わる確かな理念の有無を問題にすべきです。

 今、日本は社会保障と税制に関する課題を抱えています。この課題に対する取り組みの基本は、人の権利の問題を人の義務としてどのように考えるかということであり、この課題にどう取り組むかは文化国家においてはおろそかにできない重要事項であり、欠いてはならない必須の条件です。そのための施策に力点を置くことが心ゆたかな文化国家として発展していくための重要条件であり、それはいうまでもなく国家のガバナンス(国家統治)の問題ということになりますが、そのためには国家としての社会福祉の理念と社会保障に対する明確な考え方、姿勢が確立されていなければならないことだと思います。



「限界」知的障害の次男の首を  朝日新聞 2025(令和7)年2月17日
 千葉県長生村で昨夏、重い知的障害がある次男(当時44)を殺害したとして、父親の平之内俊夫被告(78)が殺人罪で起訴される事件が起きた。父親は母親と2人で次男の世話をするのは「限界だ」として、障害者施設への入所を希望していたが、かなわずにいた。SOSはなぜ届かなかったのか。父親の初公判は17日、千葉地裁で開かれる。 (良永うめか)

施設見つからず疲弊した父 きょう初公判 
 
一家は事件の約1カ月前に神奈川県小田原市から引っ越してきたばかりだった。神奈川県の検証チームがまとめた中間報告書によると、次男は多動性障害(注意欠如多動症)を伴う重度の知的障害があり、養護学校を卒業後の1998年から県立障害者施設「中井やまゆり園」(同県中井町)の一時利用を始めた。
 2006年に日帰りで園を利用した際に、職員が次男の首に絞められた痕があるのを見つけた。父親は「本人が眠らない日が続き、ついやってしまった」と釈明した。

 父親は20年に「(次男が)テレビを4台駄目にした。外に出て行って警察に2回保護された。夜寝ないのが一番つらい」として、園への入所を希望した。
 当時はコロナ禍で園は短期入所を中止していたが、疲弊した父母が「手をあげてしまう」と話したことから、同年12月から月1回の短期入所の再開を認めた。次男は、全裸になって大声を出したりといった問題行動が続いていたという。
 一方で、母親は持病が悪化し、父親の負担はさらに増えていった。23年、父親は「そろそろ限界だ。入所できる施設を探してほしい」と障害福祉サービスの相談支援事業所に打診した。だが、その時園は新規入所を停止中で、ほかの県内の障害者施設やグループホーム(GH)への入所、精神病院への入院を希望したものの、いずれも断られ続けた。
 県内の施設に入所できなければ、引っ越しを考えている――。周囲にはこう話した。近所への迷惑を気にしている様子だったという。近所の住民は父親が「愛情をもって接しているように見えた」という。一方、別の住民は「(父親は)介護に疲れているようだった」と話す。結局、入所先は見つからないまま、家族は昨年6月上旬、千葉県長生村へと転居した。

 引っ越しの直前、母親は近所に住む知人のもとを訪れ、こう言ったという。
 「今までうるさくして、もし自分だったら耐えられないけど、何も言わないでいてくれてありがとう」
 引っ越し後、家から紙が剥がれた落ちたふすまを業者が運び出すところを知人は見かけた。「想像を絶するほどボロボロだった。ここまでだったのかと思った」
 引っ越し先は住宅が点在し、雑木林が見える静かな地域だ。千葉県警によると、父親は自宅で次男の首をコードで絞めたとされる。逮捕直後の調べに、父親は「息子の将来を悲観した」と話したという。

入所待ち2万人

 
県の検証チームがまとめた中間報告書は「家族が追い詰められていると認識すべきであったが、家族からのSOSと認識している関係機関はなく、認識が甘かった」と指摘した。
 一方で、障害者の入所施設は全国的に「入所待ち」になっている。
 日本では、障害者が暮らす場が施設に偏っているという指摘があることなどから、政府は「地域移行」を進めて施設の定員を段階的に減らす方針を示している。 だが今回、父親は、入所施設に変わる居場所を見つけることができなかった。「GHは障害の状況によっては受け入れられないこともあり、入所施設の代替策がないのが現状だ。

介護の疲弊「終わりにしようと」 
障害ある次男殺害 父に猶予付き判決
朝日新聞 2025(令和7)年3月13日
 
重い知的障害がある次男(当時44)を殺害したとして、殺人罪に問われた父親の平之内俊夫被告(78)に対し、千葉地裁(浅香竜太裁判長)は12日、懲役3年執行猶予5年(求刑懲役5年)の判決を言い渡した。裁判員裁判の法廷で、被告は事件に至る経緯を詳細に語った。

 「これで終わりにしようと思った」
 2月19日の公判で、被告は殺害当日のことについて、そう振り返った。
 判決によると、被告は昨年7月4日夜、千葉県長生村の自宅で、次男の首をテレビアンテナのコードで絞めて殺害した。検察側の冒頭陳述や被告人質問などによると、被告と妻は、最重度の知的障害と身体障害がある次男を、神奈川県立障害者施設の短期入所などを利用しつつ同県内で育ててきた。 次男は思い通りにならないと暴れ、電化製品や障子などは何度も壊された。被告が眠ったすきに裸でコンビニに行き、警察に保護されたこともあった。

 2020年夏ごろから、コロナ禍で障害者施設の利用が困難になり、被告らの介護負担は増した。被告は「いつもギリギリの線で生きてきた」と振り返った。
 21年に同じく重い知的障害などがあった長男が死亡。23年に次男が自宅近くの薬局でトラブルを起こしたことなどから事件の1カ月ほど前に長生村に転居した。
 次男は新居でも暴れた。次男は自傷行為も繰り返し、傷だらけだった。
 被告は「今後も同じように暴れるだろうし、自分や妻が倒れれば面倒を見る人はいなくなる」と考え、コードを持ってきて、絞め殺した。

 被告は「妻もほんの少し気持ちを分かってくれるのでは」と思ったが、妻は「(次男が)いたから頑張れたのに」と泣き崩れた。それを聞いて「何でこんなことやっちゃたんだろう」と思った、と述べた。
 法廷には、次男が短期入所していた施設の職員も出廷。慢性的な人手不足で必要な支援を届けられない現状を明かし、「厳しい目を向けられるべきはご家族ではなく、障害福祉の制度なのではと思う」と述べた。

「被告だけ責めるのは酷」
 
判決は「結果はこの上なく重大」と非難した一方、「長年愛情を注いで献身的に支え、その苦労や大変さは言葉にできない」と指摘。「望んでも福祉的な支援が受けられない状況で追い詰められ、犯行に及んだ。被告だけを責めるのは酷だ」と述べた。

(杉江隼、良永うめか)




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障害(者)観の変化と障害者基本法/心身障害者対策基本法から障害者基本法へ

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福祉とは何か/福祉の意味

障害者福祉と社会福祉と社会保障 《社会福祉と社会保障の関係》














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