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世界人権宣言と障害者の権利宣言


2019.3.3/2021.12.12/2022.11.3/2024.1.24



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 1948(昭和23)年12月10日、第3回国連総会において「世界人権宣言」が採択されました。

 世界人権宣言は、基本的人権の尊重を重要な原則として、すべての人民とすべての国家が達成し、確保すべき共通の基準となる人間の権利を宣言したものですが、この宣言には条約のような拘束力はありません。
 しかし第二次世界大戦後の世界に大きな影響を与えました。世界人権宣言は、人権問題を考える前提として重要です。

 1971(昭和46)年の第26回国連総会では「知的障害者の権利宣言」が採択され、その4年後の1975(昭和50)年の第30回国連総会では「障害者の権利宣言」が採択されました。



《世界人権宣言について》
基本的人権(人権)とは
《障害者の権利宣言について》
知的障害者の権利宣言と障害者の権利宣言
二つの宣言の意味
《知的障害者の人権問題について》

知的障害者の人権問題の特質



 




《世界人権宣言について》
基本的人権(人権)とは





基本的人権(人権)とは 「権利と自由とを享有」「基本的人権の享有」

 世界人権宣言の第1条には「すべての人は、生まれながらにして自由であり、かつ尊厳と権利について平等である。」とあり、第2条には「すべて人は、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる。」とあります。
 なお
日本国憲法では、第11条に「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」とあります。

 世界人権宣言では「権利と自由とを享有」、日本国憲法では「基本的人権の享有」というように、「享有(きょうゆう)」という言葉が使われていますが、「享有」とは、生まれながらに権利や能力などを持っているという意味です。
 人間は人間として生まれてきたからこそ、人間として生き、人間としてその一生を終えるわけで、人として生まれてきたということは、障害の有無等に関係なく、誰もが人として生活する権利を有しているということです。その権利のことを、基本的人権(単に「人権」ともいう。)と言います。

 要するに、人権とは、人間として生きる資格を有しているという意味で、その資格は人類共通のものです。人々すべてが人としての生を全うできる有資格者であるということは、人々はその有する資格を互いに尊重し合う必要があるわけです。そこに、“個人の尊重” “人権の尊重”という意味があり、尊重される側と尊重する側という権利と義務の人間関係が存在するわけです。
 人が人としてよく生きるためには、そのための生活意欲を育む環境条件の整備が重要であり、互いの生活意欲を損なわないような配慮が必要です。そうした条件整備や配慮こそが人権保障の基礎になっているはずです。

 “人権の保障”とは、端的にいえば、人間同士が互いの人権を認め合うことにほかならない。それは人としての生活意欲を損なわないように、人と人とが互いに配慮し合うことを意味します。
 “人権の侵害”とは、人の願望や欲求を妨げ、無視し、おびやかし、否定することです。“権利の行使”とは、生まれながらに付与された資格を活かす行為です。

 人権問題を考えるポイントは、人がよりよく生存し、生活することに関係する欲求(生活要求 needs)にはどのようなものごとがあるかを理解することであり、それをどの程度まで、どのように認め合い、どのように尊重し合い、どのように受け入れ、どのように擁護するかというところにあります。

 人の欲求(生活要求)は、大きく二つに分けて考えることができます。一つは、人の生命(生活)の維持に直接的に関わる生理的な性質の欲求です。もう一つは、人の生涯において、年齢や性別、病気や障害の有無、あるいは生活様式(習慣)や人生観・価値観、あるいは時代や文化レベルなどが関連する人の生き方とか生きがいなどに関わる心理的・社会的性質の多様な欲求です。

 生理的欲求と心理・社会的欲求には相乗作用も考えられますが、いずれも人の暮らしに関わる欲求・要求ということでは人類共通のものがあるはずです。そうした人類に共通するであろう基本的かつ普遍的な欲求は、人類の存亡・繁栄に関わることであり、そこに基本的人権の根拠があり、人権の保障という意味があり、世界人権宣言の意味があると思います。


 外務省:世界人権宣言





《障害者の権利宣言について》
知的障害者の権利宣言と障害者の権利宣言
二つの宣言の意味






知的障害者の権利宣言と障害者の権利宣言

 
1971(昭和46)年の第26回国連総会で「知的障害者の権利宣言」が採択されました。 そしてその4年後の 1975(昭和50)年の第30回国連総会で「障害者の権利宣言」が採択されました。
 障害者の権利宣言には、知的障害者の権利宣言の補足的な意味合いがあり、知的障害だけでなく、先天的か否かにかかわらず、生活に必要なことが自分自身で確保することが困難な状態を包括的にとらえ、すべての障害者の権利を宣言したものです。




知的障害者の権利宣言
1971.12.20 第26回国連後総会で採択


1 知的障害者は、実際上可能な限りにおいて、他の人間と同等の権利を有する。
2 知的障害者は、適当な医学的管理及び物理的療法並びにその能力と最大限の可能性を発揮せしめ得るような教育、訓練、リハビリ 
 テーション及び指導を受ける権利を有する。
3 知的障害者は経済的保障及び相当な生活水準を享有する権利を有する。また、生産的仕事を遂行し、又は自己の能力が許す最大限
 の範囲においてその他の有意義な職業に就く権利を有する。
4 可能な場合はいつでも、知的障害者はその家族又は里親と同居し、各種の社会生活に参加すべきである。知的障害者が同居する家
 族は扶助を受けるべきである。施設における処遇が必要とされる場合は、できるだけ通常の生活に近い環境においてこれを行うべき
 である。
5 自己の個人的福祉及び利益を保護するために必要とされる場合は、知的障害者は資格を有する後見人を与えられる権利を有する。
6 知的障害者は、搾取、乱用及び虐待から保護される権利を有する。犯罪行為のため訴追される場合は、知的障害者は正当な司法手
 続きに対する権利を有する。ただし、その心神上の責任能力は十分認識されなければならない。
7 重障害のため、知的障害者がそのすべての権利を有意義に行使し得ない場合、又はこれらの
権利の若干又は全部を制限又は排除す
 ることが必要とされる場合は、その権利の制限又は排除のために援用された手続はあらゆる形態の乱用防止のための適当な法的保障
 措置を含まなければならない。 この手続きは資格を有する専門家による知的障害者の社会的能力についての評価に基づくものであ
 り、かつ、定期的な再検討及び上級機関に対する不服申立の権利に従うべきものでなければならない。  
 


障害者の権利宣言
1975.12.9 第30回国際連合総会で採択


1 「障害者」という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的又は精神的能力の不全のために、通常の個人又は社会生活に必要な
 ことを確保することが、自分自身では完全に又は部分的にできない人のことを意味する。

2 障害者は、この宣言において掲げられるすべての権利を享受する。 これらの権利は、いかなる例外もなく、かつ、人種、皮膚の
 色、性、言語、宗教、政治上若しくはその他の意見、国若しくは社会的身分、貧富、出生又は障害者自身若しくはその家族の置かれ
 ている状況に基づく区別又は差別もなく、すべての障害者に認められる。
3 障害者は、その人間としての尊厳が尊重される生まれながらの権利を有している。障害者は、その障害の原因、特質及び程度にか
 かわらず、同年齢の市民と同等の基本的権利を有する。このことは、まず第一に、可能な限り通常のかつ十分満たされた相当の生活
 を送ることができる権利を意味する。
4 障害者は、他の人々と同等の市民権及び政治的権利を有する。「知的障害者の権利宣言」の第7条は、精神障害者のこのような諸
 権利のいかなる制限又は排除にも適用される。
5 障害者は、可能な限り自立させるよう構成された施策を受ける資格がある。
6 障害者は、補装具を含む医学的、心理学的及び機能的治療、並びに医学的・社会的リハビリテーション、教育、職業教育、訓練リ
 ハビリテーション、介助、カウンセリング、職業あっ旋及びその他障害者の能力と技能を最大限に開発でき、社会統合又は再統合す
 る過程を促進するようなサービスを受ける権利を有する。
7 障害者は、経済的社会的保障を受け、相当の生活水準を保つ権利を有する。障害者は、その能力に従い、保障を受け、雇用され、
 または有益で生産的かつ報酬を受ける職業に従事し、労働組合に参加する権利を有する。
8 障害者は、経済社会計画のすべての段階において、その特別のニーズが考慮される資格を有する。
9 障害者は、その家族又は養親とともに生活し、すべての社会的活動、創造的活動又はレクリエーション活動に参加する権利を有す
 る。障害者は、その居住に関する限り、その状態のため必要であるか又はその状態に由来して改善するため必要である場合以外、差
 別的な扱いをまぬがれる。もし、障害者が専門的施設に入所することが絶対に必要であっても、そこでの環境及び生活条件は、同年
 齢の人の通常 の生活に可能な限り似通ったものであるべきである。
10 障害者は、差別的、侮辱的又は下劣な性質をもつ、あらゆる搾取、あらゆる規則そしてあらゆる取り扱いから保護されるものと
 する。
11 障害者は、その人格及び財産の保護のために適格なる法的援助が必要な場合には、それらを受け得るようにされなければならな
 い。もし、障害者に対して訴訟が起こされた場合には、その適用される法的手続きは、彼らの身体的精神的状態が十分に考慮される
 べきである。
12 障害者団体は、障害者の権利に関するすべての事項について有効に協議を受けるものとする。
13 障害者は、その家族及び地域社会は、この宣言に含まれる権利について、あらゆる適切な手段により十分に知らされるべきであ
 る。

出典:ミネルヴァ書房編集部「社会福祉小六法 2018年版」



二つの宣言の意味

 知的障害者の権利宣言で重要な点は、宣言の最初に掲げているところの「知的障害者は、実際上可能な限りにおいて、他の人間と同等の権利を有する。」というところにあります。
 実際上可能な限りにおいてということは、可能であるのが本来であるが、実際的には可能でない場合もあり得ることを肯定するところに宣言の意味があるわけです。

 障害者の権利宣言で重要な点は、宣言の最初に掲げているところの「障害者」という言葉について「先天的か否かにかかわらず、通常の個人又は社会生活に必要なことを確保することが自分自身では完全に又は部分的にできない人のことを意味する」という定義にあります。つまり生活に必要なことが自分自身ではできないことがあるのが障害者であるという理解を促すところに宣言の意味があるわけです。

 要するに、二つの宣言の趣旨は、障害を否定せずに、障害を持っているということを当たり前に認めるように人々の意識を促すとともに、可能な限りというのは、どうすれば可能になるか、もし可能でなければ、その可能でない状態に対してどうすればよいかを実際の生活の中で、具体的に追求することを促すことにあるわけです。

 そして追求しながら、不可能ならば不可能なりの、できなければできないなりの人としての生き方や生きがいがあるはずであるから、それも同じ人の生き方の一つであり、当然尊重されるべきことであるという考え方を示しているといってよいと思います。

 尊重するからには、尊重するという配慮を伴うものでなければなりませんが、その配慮がどのようなものであるかが大切なことになります。そこに「障害者の権利に関する条約」にある「合理的配慮」に関する問題や課題があると思います。


 障害者の権利に関する条約と「合理的配慮」について






《知的障害者の人権問題について》
知的障害者の人権問題の特質





知的障害者の人権問題の特質

 すべての人が生まれながらに基本的人権を有するということではあっても、障害を持つ人の場合は、その生活において、実際的には自己の権利を主張し、自己の権利を行使することには困難があるわけです。

 特に、知的障害の場合は、対人関係や周囲の状況についての的確な理解や判断がよくできないために、犯罪に巻き込まれやすく、その被害者になるだけでなく、加害者にもなりうる例が多い。こうした例はいずれも知的障害の障害特性であるところの危険の有無や善悪に対する判断能力や、物事を正確に訴えたり、主張するという力が弱いことに起因します。
 また知的障害者が何らかの訴えを起こしたとしても、証言能力がないものとして軽視され、まともに受け止めてもらえないこともあるなど、知的障害という障害そのものが知的障害者にとっては不利な理由づけに利用されてしまうという問題があります。

 知的障害者が犯罪の被害者となる例に関する問題の特質として、その加害者は知的障害者にとっては身近な存在であって、その生活を支え、一番のよき理解者であるはずの人たちであることが多いことです。
 また知的障害者の人権侵害に関する問題の特質は、人権を侵害する側もされる側も “人権の侵害”という意識や認識に欠けるだけでなく、知的障害者施設での体罰や虐待には善意や信頼関係に基づくものと錯覚されているような例さえもみられます。その要因としては、知的障害に対する人々の無理解や認識不足ということと、障害者支援に関わる施設職員等の専門性の欠如であるところの資質の問題が考えられます。

 例えば、知的障害関係施設においては、施設利用者の問題行動を改善(矯正)するための教育とか指導あるいは訓練と称する体罰が、“暴力”や“虐待” という認識のないままに、ごく日常的に行われていたというようなことが新聞等で報道されて、ようやく事の重大さに当事者も周囲も気付くというようなことがあるわけです。
 
偏食を矯正すると称して食事を与えない、あるいは逆に残さずに食べることを強制する。言ってもわからないから体で覚えさせるとして暴行を加える。集団生活であることを理由に日課を強制したり、活動を制限したりするようなことがあることも否めない。

 また知的障害者が就労を希望してもなかなか職場の確保が難しいという雇用差別の問題があります。就労の場があるにしても、賃金搾取や低賃金での過重労働が強いられているようなことがあるにもかかわらず、そうしたことが知的障害者の働く権利の侵害であるとして表面化しにくいということもあります。それどころかそうした職場が障害者を雇用する優良事業所として称賛されるようなことさえもあるわけです。

 人権意識の高まりと、ノーマライゼーション理念の広がりにより、知的障害者が安易に施設に収容されたり、保護、隔離といった侮蔑的で特別視した取り組みが行われてきたことに対する反省が促されてきたことは確かです。「障害」についての理解も進み、現在に至っています。しかし共生社会の実現に向けてということでは依然として問題、課題があるというのも確かだと思います。






 
ノーマライゼーションと教育・福祉

 共生社会とインクルーシブ教育を考える

 日本の障害者施策と「障害者権利条約」の批准について

 国連障害者権利委員会の審査、勧告について≪審査、勧告をどう受け止めるか≫

 日本の障害児(者)の教育と福祉

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日本の障害児(者)の教育や福祉をめぐる問題、課題を考察し、今後を展望
田研出版 3190円 A5判 316頁






















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