特殊教育から特別支援教育へ
障害児教育の義務制の意義と課題
  
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 日本の公教育制度の歴史をみると、盲(もう=視覚障害)と聾(ろう=聴覚障害)は、1890(明治23)年に学校教育の対象とされています。そして1923(大正12)年には「盲学校及び聾唖学校令」により、盲(もう)学校と聾唖(ろうあ)学校(聾唖学校は聾学校の旧称)の設置が道府県に義務付けられています。

 しかし、盲・聾以外の心身障害児の学級や学校が設置されるようになるのは 1941(昭和16)年に、「国民学校令」が施行されてから以降のことであり、障害児の学校教育が義務教育として教育法制度上に明確に位置付けられたのは戦後のことです。

 戦後に公布された新しい日本国憲法に基づく教育基本法と学校教育法によってはじめて、障害児の教育も義務制となったのですが、その義務制はすぐには実施されませんでした。

 人として生まれたならば、人としてよく育ち、人としてよく生きる権利は誰もが有しています。そこに憲法第25条に定める「国民の生存権、国の保障義務」の意味があり、憲法第26条に定める「教育を受ける権利、受けさせる義務」の意味があると思います。



◇障害児教育の義務制の実施

◇これまでを振り返ることの意義


◇戦後の変貌と現状の課題






◇障害児教育の義務制の実施

 
国民の基本的な権利の一つとして「教育を受ける権利」を定めた新たな日本国憲法が1946(昭和21)年11月3日に公布され、翌年の1947(昭和22)年3月に、教育基本法と学校教育法が公布されたことによって、はじめて障害児の教育も義務教育として法制度上に明確に位置付けられました。
  しかし実際に、知的障害、肢体不自由、病弱(身体虚弱を含む)を対象とする養護学校が設置されるようになるのは1956(昭和31)年に「公立養護学校整備特別措置法」(現在は廃止)が制定されてからのことであり、実際に養護学校の義務制が施行されたのは戦後の学校教育制度が発足してから 32年目の1979(昭和54)年4月からのことです。

 障害児教育を義務付けた新しい教育法制度の発足から、その義務制が施行されるまでになぜ30年以上もの年月を要したのかといえば、学校教育法の附則に、「この法律は昭和22年4月1日から、これを施行する。ただし、盲学校、聾学校及び養護学校における就学義務並びにこれらの学校の設置義務に関する部分の施行期日は、勅令(昭和23年法律第133号により 「政令」と改正)で、これを定める。」という但し書きが付けられていたことによるものです。

 この但し書きにより、昭和23年から学齢に達した盲と聾の児童については、すでに大正時代にそのための学校の設置が義務付けられていたことから、そのまま就学は義務となりましたが、 知的障害、肢体不自由、病弱等のための養護学校の義務制の実施については、そのための実績もなく、敗戦後の混乱と財政的窮乏の中で、一般の小学校、中学校の義務教育をまず優先させたことから遅れてしまったのです。

 その一方で、養護学校設置に対する住民の反対があり、障害当事者団体による養護学校の義務化に対する激しい反対運動もありました。

 養護学校の設置に対する住民の反対理由はどのようなことだったのでしょうか。障害当事者団体による養護学校の義務化に対する反対運動はなぜ起きたのでしょうか、反対運動の実際はどのようなものだったのでしょうか。このことについては、いま改めて考えてみるべき意味があるように思います。


 戦後に発足した教育制度は障害児の教育も義務制にし、そのための学校を障害種別に、盲学校、聾学校、養護学校(知的障害・肢体不自由・病弱を対象)というように区分し、それらを「特殊教育諸学校」と称し、特殊教育諸学校における教育のことを「特殊教育」と称してきました。
 その後、2006(平成18)年6月に、障害種別による学校の区分をなくして、いわゆる学習障害や自閉症等の特別な教育的ニーズを抱える発達障害の児童生徒も含め、適切な教育指導と必要な支援を行うための「学校教育法等の一部を改正する法律」が成立し、 翌年の2007(平成19)年4月に施行されました。これにより特殊教育諸学校は「特別支援学校」に改称し、一本化されました。そして特殊教育は「特別支援教育」に改められて現在に至っています。

 義務教育の制度が国民すべての教育を受ける権利を保障し、教育の可能性を追求するものであるならば、そのための条件として、教育を受ける国民すべてに配慮した教育の内容・教育の方法・教育の場が整っているということでなければなりません。それは教育を受ける権利に対する義務であり、義務教育の意義にかかわる重要な条件です。

  特別支援教育が義務教育であるならば、それは教育を受ける側に対する十分な配慮を伴うものでなければならないわけですが、そうした配慮がともすると、教育を行う側の一方的な価値観や基準の枠にとらわれたものになりがちで、その結果、児童生徒のやる気や自信を奪ってしまうことになりかねないということには注意を要すると思います。

 特別支援というからには、特別な支援を必要としているその状態や程度に応じた適切な教育の内容や教育の方法、教育の場の工夫や設定ができるような教育法制度でなければなりません。そのための教育の場が必要だとすれば、学校だけが教育の場ではないという柔軟な認識に基づく教育施策の充実を図ることが必要だと思います。




◇これまでを振り返ることの意義

 障害児者の暮らしに関わる日本の教育や福祉は断片的には優れているにしても、それが未確立、未整備の状態であるといっても過言ではないようです。
 これからの日本がどのような文化国家を目指すかということと、障害児者の教育や福祉は無関係ではありません。戦後から現在に至るこれまでの障害児者の教育や福祉に関する諸々を振り返ってみる意義は大きいと思います。

 例えば、障害を理解するということがいつの間にか用語問題になり、教育を受ける権利の主張がいつの間にか過激な無差別平等論や養護学校の義務化に対する反対運動になり、「施設福祉から地域福祉へ」「地域生活支援」 ということがやみくもな入所施設の否定となり、自立支援や就労支援を強化するということが、いわゆる「福祉的就労」の意義やそのための支援を消極的なものにし、対等な関係ということが「措置制度」から「利用契約制度」になり、さらに公的責任の後退のようにも思われる法制度のめまぐるしいほどの改変など、これらをかえりみることなしに単に先へと進もうとするならば、日本の文化レベルは思慮分別の足りないはなはだ低いものということだと思います。

  1970年代のアメリカの重度の障害者による自立生活(IL=independent living)運動は、リハビリテーションや障害者福祉の分野に大きな影響を与えたことは確かです。
 しかしそうした理念や考え方が日本社会の中では十分に消化されないまま、未消化の状態のなかで、「自立支援」「地域生活支援」が強調されるようになったために生じているギャップの問題にもしっかり目を向けるべきです。
 そもそも人の自立生活とは一体どうあればよいのでしょうか。また一口に「障害」といってもその内容は多様です。そうした理解認識が不十分なまま、「自立支援」という枠の中に、「完全参加と平等」と称して、多様な障害(者)を一律的に当てはめようとしているところに不備や混乱が生じているように思います。

 日常生活で介助を受け、あるいは職業的、経済的に何らかの援助を受けている場合であったとしても、そうした支援システムが整備され、それを活用(利用)した生活が確立し、生活の拠りどころとなる居場所があり、その人が精一杯生きる力を発揮し、その生活に満足または納得して、あるいはその人なりに安定した気分で生活を保持できるのであれば、それも人の生き方であるはずです。 そうした生活の実現を図るところにこそ教育と福祉の大切な意味があると考えます。

 一般の人々も、教育関係者も、福祉関係者も、“教育”と“福祉”は、これまで別々の領域のような捉え方をしてきたのではないでしょうか。 教育の意義も福祉の意義も、要は、「人としてよりよく生きるためのもの」というところにあるといってよいと思います。それは別々のものではなく、人の生き方や生きがいにかかわるという点では一体的なものであるわけです。
 教育は福祉のためにあり、福祉は教育のためにあるという認識が弱すぎるように思います。

 教育や福祉の施策をどのように考えるかは、優れた文化社会においてはおろそかにしてはならない必須のことであり、それは障害児者を排斥するものではないはずです。




◇戦後の変貌と現状の課題

 
戦後の日本は、大きな変貌を遂げました。人々の意識や暮らしぶりに関わる教育や福祉もそれなりに充実して現在に至っています。しかし今、少子高齢化の問題を含め、新たな局面を迎えています。これからの日本が確かな文化国家としてどのように存続していくかという意味において教育や福祉についての考え方はきわめて重要だということになります。
 最近の傾向として留意すべき点は、知的障害を含む発達障害の児童生徒の増加です。障害児者の教育と福祉についても改めて考えてみなければならない現状と課題があると思います。

 障害児者だけでなく、少数派に属する人々にとっては何かと生活しづらい現実があることは確かです。とくに自ら積極的に訴える力の弱い場合はそうだと思います。 にもかかわらず、「多様化の時代」 「共生の社会」 などといわれています。
 多様な人々がどのように共存共栄していくかというところに高度に進化した優れた人間の社会的文化があるはずです。

  教育を受ける権利を保障するということでは、障害児の教育が義務制になった意義は大きいと思います。しかし義務教育を修了すればそれでよいということではないわけで、何のための義務教育か、誰のための義務教育か、というところが大切です。
 義務教育としてどのようなことを、どのような観点で行うかということが明確でなければなりません。それは義務教育終了後をどのように見据えるかということでもあると思います。

 障害児教育の義務制が施行されてから今日に至るまでの諸問題を概観すれば、いわゆる「障害」をどのように受け止めるのか、というところから始まっているといえます。 
 「発達障害」の概念の問題、 「精神薄弱」から「知的障害」への用語問題、 「障害は個性か」をめぐる論議、 障害児の就学前の相談や指導に関する問題、 保育所や幼稚園の利用に関する問題、 教育の内容や方法論をめぐる問題、 学校卒業後の就労支援や生活支援に関する問題、老後の問題、 親亡き後の問題、など学齢期及びその前後の諸問題をみたとき、それらの問題は本質的には変わってはいないようです。
 特に学校卒業後の就労や生活に関する問題、親亡き後や老後の問題などは依然としてそのままだと思います。それはなぜかという点がきわめて重要なところです。

 おそらくそれは、障害児者の一生をどのように考え、どのように見据えるかという視点を欠いたままのステレオタイプの思考から脱皮できないでいるためではないかと思います。その結果として、素晴らしい理念や言葉を並べてはいるが、具体的、根本的な解決には至らないままの施策の中で、不本意ながらもそれに甘んじてきたということではないでしょうか。

 人の一生において学齢期が大切な時期であることは確かですが、その前後の時期も大切であることはいうまでもありません。しかも人の一生ということではそれらは連なっているわけですから、当然それぞれの時期に対応した適切な支援施策が講じられていなければなりません。
 人の一生は、学校教育を終えたらそれでよいというものではないわけです。
 学齢期よりもずっと長い学校卒業後をどのように暮らすか(暮らせるか)、ということはきわめて重大なことであり、障害児者の支援においても人の一生をどのように考えるかという視点が重要です。
 なぜなら、人の一生はかけがえのないものであり、障害の有無に関係なく、尊重されるべきものであるからです。

 教育を終えればそれなりの道が開けているというのが一般的であるにしても、障害の内容やその程度や状態によっては、同じように道が開かれているとは言い難い現実を考えたとき、そうした場合の人の一生という視点に立った支援も必要です。そのための支援施策の確立と整備は、障害児教育の義務制実施以来の今日に至る大きな課題だと考えます。
 この課題を考える前提として重要なことは、障害児者の教育と福祉に関する現状を改めて見直してみることです。 就学前の実状、就学期の実状、学齢期以降の実状を改めて精査してみることにより教育と福祉の連携の重要性とその意味が明確になるはずです。





≪参 考≫

 文部科学省:日本の障害者施策の経緯 平成22年7月
 
 文部科学省:児童福祉法等の改正による教育と福祉の連携の一層の推進について 平成24年4月18日

 文部科学省:共生社会の形成に向けたインクルーシブ教育システム構築のための特別支援教育の推進(報告)概要 平成24年7月 

 厚生労働省:平成26年7月16日 障害児支援の在り方に関する検討会
    今後の障害児支援の在り方について(報告書) ~「発達支援」が必要な子どもの支援はどうあるべきか~ (PDF)


 内閣府:共生社会政策 

 国民一人一人が豊かな人間性を育み生きる力を身に付けていくとともに、国民皆で子供や若者を育成・支援し、年齢や障害の有無等にかかわりなく安全に安心して暮らせる「共生社会」を実現することが必要です。
 このため、内閣府政策統括官(共生社会政策担当)においては、社会や国民生活に関わる様々な課題について、目指すべきビジョン、目標、施策の方向性を、政府の基本方針(大綱や計画など)として定め、これを政府一体の取組として強力に推進しています。
 



  日本の障害児(者)の教育と福祉
 
 
 ノーマライゼーションと教育・福祉

  教育を受ける権利の保障


  福祉の意味

  社会福祉法人制度と障害者福祉の施策

  障害者の権利に関する条約と「合理的配慮」について

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日本の障害児(者)の教育や福祉をめぐる問題、課題を考察し、今後を展望

田研出版 3190円 A5判 316頁

第1章 日本の障害児教育の始まりと福祉
義務教育の制度と障害児/学校教育と福祉施設/精神薄弱者福祉法(現:知的障害者福祉法)の制定/教育を受ける権利の保障
第2章 戦後の復興から社会福祉基礎構造改革へ
社会福祉法人制度と措置委託制度/社会の変化と社会福祉基礎構造改革/「措置」から「契約」への制度転換と問題点
/社会福祉法人制度改革の意義と課題

第3章 障害者自立支援法から障害者総合支援法へ

障害者自立支援法のねらい/障害者自立支援法をめぐる問題/自立支援法から総合支援法へ/障害者総合支援法施行3年後の見直し 
第4章 教育の意義と福祉の意義
人間的成長発達の特質と教育・福祉/人間的進化と発達の個人差/教育と福祉の関係/「福祉」の意味と人権

第5章 展望所感
 障害(者)観と用語の問題/新たな障害(者)観と国際生活機能分類の意義/障害児教育の義務制の意義と課題/障害者支援をめぐる問題

















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