共生社会と
インクルーシブ教育を考える


2024.4.1



 共生社会が実現すれば、おのずとインクルーシブ教育は実現します

 共生社会もインクルーシブ教育も、いずれも障害(者)への理解がなければならないと思います

 それはいわゆる〝合理的配慮〟の問題を考えることにも通ずることだと思います





「障害者の権利宣言」の再確認と
合理的配慮

 「共生社会」も「インクルーシブ教育」も、いずれもその前提にはいわゆる障害(者)への理解がなければならないと思います。その意味では国連の総会で1971年に採択された「知的障害者の権利宣言」と、その4年後に採択された「障害者の権利宣言」を改めて再確認するということが大切ではないかと考えます。

 知的障害者の権利宣言では、「知的障害者は、実際上可能な限りにおいて、他の人間と同等の権利を有する」という点が重要です。
 実際上可能な限りにおいてというのは、可能であるのが本来であるが、実際的には可能でない場合もあり得ることを肯定するところに宣言の意味があるわけです。

 障害者の権利宣言では、『「障害者」という言葉は、先天的か否かにかかわらず、身体的又は精神的能力の不全のために、通常の個人又は社会生活に必要なことを確保することが自分自身では完全に又は部分的にできない人のことを意味する』という点が重要です。
 障害者の権利宣言には、知的障害者の権利宣言の補足的な意味合いがあり、知的障害だけでなく、先天的か否かにかかわらず、生活に必要なことが自分自身で確保することが困難な状態を包括的にとらえたすべての障害者の権利の宣言であるというところに意味があるわけです。
 
 この二つの宣言は、障害を否定せずに、障害をもつ人の存在を当たり前に認め、可能な限りというのは、どうすれば可能か、もし可能でなければ、その可能でない状態にどう対処するかを実際の生活のなかで具体的に追求するよう促すところにあるわけで、追求しながらも、不可能ならば不可能なりの、できなければできないなりの人としての生き方や生きがいがあり、それも同じ人の生き方として当然尊重されるべきものという考えに立脚した宣言だと思います。

 尊重されるということは、尊重するという配慮を伴うものでなければなりませんが、そもそも人々が共に生活するには互いの配慮を要するわけで、それが障害者の権利条約でいう「合理的配慮」ということだと思います。
 換言すれば、障害者の権利といっても、それは特別な権利ではなく、人の権利にほかならないという考えに基づく配慮が「合理的配慮」であるという理解が大切です。また合理的配慮の「合理的とは」という問題を考える上で重要なのが、世界保健機関(WHO)が2001年に採択した「国際生活機能分類(ICF)」の考え方です。
 ICFは、障害をもつ人ももたない人も同じ「生活者」であり、その生活は環境的諸条件とも関係性のあることを踏まえたもので、世界共通の理解認識を促す意味で画期的であり、障害(者)をどう理解するかの指針となる最新のものといえます。



障害(者)観を変えた国際障害分類と国際障害者年
国際障害分類試案/国際障害者年/国際生活機能分類




教育を受ける権利の保障と
インクルーシブ教育

 教育を受ける権利の保障ということでは、障害児教育が義務制になった意義は大きいと思います。しかし義務教育を修了すればそれでよいということではないわけですから、何のため、誰のための義務教育かという点と義務教育としてどのようなことを、どのように行うかが重要です。それは義務教育終了後をどのように見据えるかということでもあると思います。
 教育とは、いうまでもなく教育を受ける側に対する配慮を要するわけですが、それがともすると、親の意向あるいは教育を施す側の一方的な価値観や評価にとらわれたものになりがちではないでしょうか。その結果として、素晴らしい理念や言葉を並べてはいるが、根本的な解決には至らぬまま、教育を受ける側は不本意ながらもそれに甘んじてきたというような経緯があると思います。

 人の一生では、学齢期よりも学校卒業後のほうがずっと長く、学校卒業後をどのように暮らすか(暮らせるか)という問題があるわけですから、人の一生をどのように考えるかという視点が大切です。
 特別支援教育の制度は、特別な支援を必要としている状態や程度に配慮した適切な教育の内容や方法、教育の場などの工夫や設定ができるような制度でなければなりません。また学校だけが教育の場ではないという柔軟な認識に基づく教育施策の充実が必要だと思います。
 障害のある子もない子も分け隔てなく「学ぶ権利」を同等に保障するための教育環境の整備ということを、みんな一緒に同じことを同じようにしなければならない(すべきだ)というように誤解した混乱を招いているのではないでしょうか。

 障害をもつということは、一般的な価値観や評価、人間関係などが通用しにくい問題を抱える状態であるわけで、障害のある人とない人が互いに理解し合うことができなければそこに無理が生じ、その関係はむずかしくなり、その度合いがさらに障害の内容やその程度や状態にも関係することになるわけです。
 したがって障害の多様性を理解しないまま〝障害〟と一括りにして、一般的な価値観や人間関係の基準に当てはめようようとする自立支援や就労支援、生活支援、教育支援では無理は解消しないわけです。知的障害や発達障害の場合、その状態や程度によっては、そうした無理を抱えたままの状況が続いてきたといってよいかもしれません。

 障害があるから無理だというよりも、無理があるからそれが障害だという考え方や視点が大切です。障害の特質をすべて承知した上で、どのように共に生きるか(生きられるか)を具体的に考えるということでなければ、共に生きるという支援にはならないであろうし、障害(者)問題の根本的な解決にはならないと思います。
 共生社会が実現すれば、インクルーシブ教育はおのずと実現します。日本の現状において、「共生社会」や「インクルーシブ教育」を考える上で、障害者権利条約でいうところの「合理的配慮」の考え方はとても重要だと思います。











日本の障害児(者)の教育や福祉をめぐる
問題、課題を考察し、今後を展望

田研出版 3190円 A5判 316頁






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