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「精神薄弱」から「知的障害」へ
発達障害・精神遅滞・知的障害の用語について

  
 

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 「精神薄弱」は、行政用語としては大正時代から使用されるようになり、法文上に「精神薄弱」がはじめて記されたのは、1941(昭和16)年に「小学校令」が「国民学校令」に改正されるにあたり公布された国民学校令施行規則においてです。

 長い間、法律用語としても使われてきた「精神薄弱」は不適切用語であるとして1999(平成11)年4月から「知的障害」に改められました。
 不適切だとする理由は、意思薄弱を連想させ、文字通りに解釈すれば精神が薄くて弱いという意味になり科学的妥当性を欠くだけでなく、人権にかかわる軽蔑的意味にも通じ、倫理的妥当性をも欠くなどということです。また、「精神薄弱」を略して「精薄(せいはく)」という言い方をしてきたことへの批判もありました。





「精神薄弱」から「知的障害」へ

発達障害・精神遅滞・知的障害の用語について

不快で不適切な用語「精神薄弱」








「精神薄弱」から「知的障害」へ

 長い間、法律用語としても使われてきた「精神薄弱」は不適切用語であるとして1999(平成11)年4月から「知的障害」に改められました。
 不適切だとする理由は、意思薄弱を連想させ、文字通りに解釈すれば精神が薄くて弱いという意味になり科学的妥当性を欠くだけでなく、人権にかかわる軽蔑的意味にも通じ、倫理的妥当性をも欠くなどということです。また、「精神薄弱」を略して「精薄(せいはく)」という言い方をしてきたことへの批判もありました。

 「精神薄弱」は、行政用語としては大正時代から使用されるようになり、法文上に「精神薄弱」がはじめて記されたのは、1941(昭和16)年に「小学校令」が「国民学校令」に改正されるにあたり公布された国民学校令施行規則においてです。その第53条に、「国民学校ニ於テハ身体虚弱、精神薄弱其ノ他心身ニ異常アル児童ニシテ特別養護ノ必要アリト認ムルモノノ為ニ学級又ハ学校ヲ編成スルコトヲ得」というように制度上の規定として「精神薄弱」の用語とともにそのための学級や学校を設けることができるということがはじめて明記されました。これ以後、法律上及び行政上の用語として「精神薄弱」の使用が定着し、一般的にも用いられるようになりました。

 精神薄弱の語が使われるようになる以前は、学術用語として精神医学の分野では「白痴」、児童研究や教育学の分野では「低能」という語のほかに、低格児、精神遅鈍児、病的低能、痴愚 などと表現されていました。
 これらの用語が人の能力的な優劣の面しかみないような風潮を助長し、差別やべっ視につながるとして、それに替わる用語として、当時の日本の医学はドイツに学んでいたこともあり、ドイツ語の“schwachsinn”あるいは英語の“feeble mindness” “mental deficiency”の訳語である「精神薄弱」を用いるようになったようです。
 したがって 「精神薄弱」 はそもそもは差別語に替わるものとして使用されるようになったといってよさそうですが、それが不適切な用語になったということになります。





発達障害・精神遅滞・知的障害の用語について

 「発達障害」と「精神遅滞」と「知的障害」は同義語のように使用されてきた経緯があります。それは、発達障害という用語が、精神遅滞(知的機能の発達に遅れを有する状態)および精神遅滞と同様の状態にあり、共通の問題を抱えるグループを包括する用語として誕生したことによるもので、発達障害のそもそもの基本モデルが精神遅滞であることに由来します。
 発達障害をどのように理解するか/発達障害の用語について

 精神遅滞とは、知的機能(知能)の発達に遅れがあるために適応行動の障害を伴う状態をいいます。 「精神遅滞」という用語は、戦後の一時期にアメリカ進駐軍総司令部の民間情報局CIE(Civil Information Education Section)の指導を受けていたこともあり、CIEの資料の中に使用されていた“mental retardation”“mentally retarded children”の訳語として、精神医学や心理学、教育学の分野で使用されてきました。

 アメリカ精神薄弱学会 American Association on Mental Deficiency (AAMD) 注) が、1959年に「精神遅滞 Mental Retardation」ということばを用いて、精神遅滞の定義と分類マニュアルを作成し、「精神遅滞とは、全般的な知的機能が平均よりも有意に低く、適応行動の障害を伴い、その状態が発達期中に現れるものをいう」と定義しました。
 この定義は、単に生物学的な側面からの知能障害に着目するだけでなく、その状態像であるところの心理・社会的な側面からの適応行動の障害ということにも着目した点で、世界的にも承認されたことから、「精神遅滞」という語はそのまま「知的障害」という語とともに使用されるようになりました。

 注)アメリカ精神薄弱学会(AAMD) は、名称を1988年に、アメリカ精神遅滞学会(AAMR=American Association on Mental Retardation)に改称。
 2007年には、アメリカ知的・発達障害学会(AAIDD=American Association on Intellectual and Developmental Disabilities)に改称。
 知的障害(精神遅滞)に関する研究者や実践家らで構成されるアメリカの学会で、科学的研究や政策等において大きな影響力を発揮して現在に至っている。

 精神遅滞と知的障害が同意語として使用されるようになる以前は、「精神薄弱」 ということばが使われていました。しかしそれが不適切な用語とされたために、欧米などでは“intellectual disability”が広く使用されていたことから、「知的障害」を使用するようになったようです。
 そして1999(平成11)年4月より日本の法律用語も 「精神薄弱」 から 「知的障害」 に改められたわけですが、 行政的には「精神遅滞」の使用も認められたことから、「知的障害」と「精神遅滞」は同じ意味で両方とも使用されて現在に至っています。

 その一方において、 「知恵遅れ」「知能遅滞」「知能障害」「知的障害」「精神発達遅滞」なども知的障害と同義語のように各分野で使われてきたという経緯があります。しかし これらは表現が異なるように、教育や福祉、医学などの各分野における概念上の問題から必ずしも共通の理解や認識に基づいたものではなかったようです。 そのことが教育や福祉の施策的な面にも少なからず影響を及ぼしてきたといえます。



不快で不適切な用語「精神薄弱」

 「精神薄弱」はその語感が不快であり、「精神」という言葉が一般的には人格(人柄)を指す意味にも用いられていることに起因する誤解や偏見もあることなどから、1965(昭和40)年代に入って問題視されるようになり、精神薄弱と呼ばれる本人側からも用語を改めてほしいという要望が出されたことから、専門的な検討を経て、「精神薄弱」から「知的障害」に改められて現在に至っています。

 しかし専門的な検討において、精神薄弱に替わる用語を明確に「知的障害」と結論付けるのは難しかったようです。その理由としては、法律用語とする場合のことも考えると安易な決定はできないということもあったようですし、障害の内容がただ単に、生物学的側面からの知的機能の障害(知能障害)というだけではなく、「適応」「発達」という心理・社会的側面からの問題を伴う障害であるという点についての共通的な理解、認識を得るというようなところにも難しさがあったということのようです。

 「精神薄弱」と表現されてきた障害は、いわゆる身体障害とは質的に異なるものであり、障害の内容についての理解を促すということでは「精神薄弱」よりは「知的障害」のほうがわかりやすいかもしれない。 結局、欧米などでは、“intellectual disability”が広く使用されていたことから、「知的障害」に改めるということになったようです。

 用語を改めるということは、それに伴い用語に付随してきた問題点も改まるものでなければその意味はない。その用語をどのように理解し、共通的に受け止めることができるかどうかということが用語問題では重要なことだと思います。その意味では、「障害」や「精神」という用語自体が問題だとして、それを使わないとする提唱もありました。
 その一つに、能力主義的評価基準からすれば問題視されるようなことであっても、人間の本質的なところに目を向けさせてくれ、人として大切なことを気づかせてくれるという意味で、人の世における啓発者であるとして、「障害児」ではなく「啓発児(けいはつじ)」という呼称が提唱されました。

 しかし「啓発児」という呼称では、その状態像を具体的にどのように理解し、そのための支援をどのように講ずるのかとなると、はなはだ実態にはそぐわない用語だということになるのではないでしょうか。
 また「知力救援者」という用語の提案もありましたが、人間誰もがある面においては知力救援者であるわけで、なぜその用語を必要とするのかということになると、わざわざ対象を特定して「知力救援者」などということばを使わなければならない理由はないということになるのではないでしょうか。

 用語問題においては、あれこれ考えすぎて、結果的にはかえって大切な物事の本質を見失ってしまうようなことが往々にしてありがちであるということには注意を要すると思います。


〈参考〉厚生労働省:これまでの用語変更事例

知的障害(精神遅滞)|℮-ヘルスネット(厚生労働省)

<参考文献>
 浅井 浩 著 「日本の教育制度と障害児(者)の福祉 変遷と展望」 田研出版(2018)





 「障害者」という用語問題

 知的障害と精神障害について―誤解と偏見―

 障害(者)についての日本の法的定義














○浅井 浩 著 : 発達障害と 「自立」 「支援」 (田研出版 2007年6月発行)
A5判250頁 2750円
教育的・福祉的観点から発達支援、自立支援をめぐる問題を考える。

第1章 発達障害をどのように理解するか
発達期における「発達」の「障害」/発達と退行/発達障害の早期発見と早期対応の意義/障害の予防ということについて
第2章 発達障害の定義と障害の内容
「発達障害」の用語誕生の経緯/発達障害と精神遅滞・知的障害/アメリカ公法における発達障害の定義/
日本の法律上における発達障害の定義/発達障害の範囲と内容

第3章 発達障害と新しい障害の概念
発達障害という概念の発展/国際障害分類の試案/国際生活機能分類の考え方/新しい障害の概念と障害者福祉
第4章 人間的成長発達の特質
人間を形成するもの/人間的成長発達の量的側面と質的側面/人間的成長と“自我”の発達/他律から自律・自立へ
第5章 発達支援と自立支援
人の発達と自立について/発達支援と教育プログラム/自立支援と福祉サービス/福祉の意義と教育の意義
第6章 障害者支援の動向と課題
発達障害者支援法の施行について/障害者自立支援法の施行について/特殊教育から特別支援教育へ/古くて新しい課題 





日本の障害児(者)の教育や福祉をめぐる問題、課題を考察し、今後を展望
田研出版 3190円 A5判 316頁























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