日本の教育制度と
特別支援教育について

2025.10.29/2025.11.24
日本の学校教育は、戦前と戦後では大きく変化しています。その最初となるのが、明治新政府が1871(明治4)年に初めて全国の教育統括機関として文部省(現在の文部科学省)を設置し、翌1972(明治5)年に日本で最初の公教育のための法令である「学制」を発布したことにより始まりました。
学制とは、全国規模で学校を設置するための「学区制」のことで、大学校・中学校・小学校を基本に学校を体系化したものです。それら学校の設置単位となるのが学区で、その一番基礎となるのが小学校です。
明治新政府は、まず小学校の普及充実を目指し、「小学は教育の初級であるから人民一般必ず学ばなければならないものとする」と定め、文部省は小学校で教える「教科」の内容となる教科書の作成基準とその教授方法の概要を示す「小学教則」を作成しました。
教科とは、学校で教える主要な内容となる特定の学問分野を体系的にまとめたいわゆる国語、社会、算数、理科、などをいうわけで、それを教える指針となるのが小学教則です。小学教則は現在の学習指導要領に相当するものと考えてよいと思います。
しかし明治新政府による学校教育の制度は、国民の教育要求に沿うものというよりも、国力増強を図る目的の教育政策であり、そのための教科を中心とする学業を重視し、学力を優先するもので、教科の内容は庶民の実生活とはかけ離れた内容でした。そのため国民の多くがその必要性を認めず、就学拒否などの抵抗もあり、不満の高まりは小学校の焼き打ちや打ちこわしといった事件も引き起こしたという史実もあります。
こうして始まった明治新政府による学校教育制度は、国民の抵抗はあったものの、学校へ行くことは立身出世につながるということから就学率も高まります。
ところが学校の普及と就学率が高まるにつれて、教科学習中心の学業重視、学力優先の教育にはついていけないいわゆる「劣等生」「落第生」が出てくることになり、そのための能力別の学級が編制されました。それが特殊学級、特殊教育であり、現在の特別支援学級、特別支援教育の始まりと考えてよいと思います。こうした歴史を振り返ってみることは教育の本質を考える上できわめて大切なことだと思います。
明治新政府によって始まった教育制度は、教育を施す側の国力増強を目指す強い思いが込められた政策であり、教育を受ける側にとっては立身出世につながることになり、それは教科学習中心の学業重視、学力優先、学歴偏重の教育観となって日本国民のなかに根付くことになったと考えられます。そうした国民意識は、戦後日本の新たな教育法制度においても払拭されずにその根底に残されてきたともいえます。このことはこれからの学校の在り方や義務教育、障害児教育などに関わる諸問題を考える上で踏まえておくべき重要な点だと思います。
戦後日本の教育制度と学習指導要領
障害児教育の義務化と学習指導要領
学習指導要領の意義と課題
《提 言》
戦後日本の
教育制度と学習指導要領
学習指導要領とは、学校で教える各教科の目標や内容、年間の授業時数、学年ごとの到達目標の指針となるもので、それは全国の学校で行う教育の質を一定レベルに保つことを目的に、文部科学大臣が定め、全国の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、特別支援学校に共通のものとして適用されます。この全国共通の基準として示された学習指導要領を基に各学校がそれぞれの地域や学校の特色等に応じて具体的な教育計画を柔軟に作成することになっています。この教育計画作成のことを「教育課程(カリキュラム)の編成」と言います。
学習指導要領は、社会の変化や地域性や児童生徒に応じた教育の課題に対応しつつ全国的な教育水準を維持することを目的に約10年ごとに見直しが行われ、改訂されて現在に至っています。それはあくまでも具体的な教育課程(カリキュラム)の基準として関わるものとされています。しかし教科書や学校の時間割は学習指導要領に基づいて作られており、一般的には教育課程は学習指導要領によって決められているものと解釈されているところに現状の問題があるように思います。
現在の学習指導要領や教育課程(カリキュラム)編成のルーツは、明治新政府によって始まった学校教育制度にあるといってよいと思います。明治新政府は教育政策として、何よりもまず学校設置の一番基礎となる小学校の普及充実を目指し、全国の教育統括機関として文部省(現在の文部科学省)を設置し、文部省は小学校で教える「教科」の目標や内容の指針となる「小学教則」を作成しました。
教科とは、学校で教える主要な内容となる特定の学問分野を体系的にまとめた科目のことで、いわゆる国語、社会、算数、理科、などのことをいうわけです。したがって小学教則は、現在の学習指導要領に相当するものと考えてよいと思います。
しかし明治新政府による学校教育の制度は、国民の教育要求に沿った教育制度というよりも、国力増強を図る目的で、教科学習を中心とする学業を重視し、学力を優先する教育政策であり、そのための教科の内容は庶民の実生活とはかけ離れた内容であるとして国民の多くがその必要性を認めず、就学拒否などの抵抗もあり、不満の高まりは小学校の焼き打ちや打ちこわしといった事件も引き起こしたという史実もあります。
こうして始まった明治新政府による学校教育制度は、国民の抵抗はあったものの、学校へ行くということは立身出世につながるということから、就学率も高まります。ところが、学校の普及と就学率が高まるにつてれて、教科中心の学業重視、学力優先の教育にはついていけないいわゆる「劣等生」「落第生」が出てくることになり、それを放置できないとしてそのための能力別学級が編制されました。それが特殊学級、特殊教育であり、現在の特別支援学級や特別支援学校における特別支援教育の始まりです。こうした歴史を振り返ってみることは教育の本質を考える上できわめて大切なことだと思います。
明治新政府による教育制度は端的に言えば、教育を施す側の国力増強を目指す強い思いが込められた政策であり、教育を受ける側にとっては立身出世につながることになり、それは教科学習中心の学業を重視する学力優先の教育観となり、さらに学歴偏重となって、日本国民のなかに根付くことになったと考えられます。そうした国民意識は、戦後日本の新たな教育法制度においても払拭されずにその根底に残されてきたといってよいと思います。このことはこれからの学校の在り方や義務教育、障害児教育などに関わる諸問題を考える上で踏まえておかなければならない重要な点だと思います。
障害児教育の
義務化と学習指導要領
国民の基本的な権利の一つとして「教育を受ける権利」を定めた戦後の新たな日本国憲法が1946(昭和21)年11月3日に公布され、翌年の1947(昭和22)年3月に、教育基本法と学校教育法が公布されたことによって、はじめて障害児の教育も義務教育として法制度上に明確に位置づけられました。
障害児教育が義務制になった意義は大きいと思います。しかし実際に、知的障害、肢体不自由、病弱(身体虚弱を含む)を対象とする養護学校(現在の特別支援学校)が設置されるようになるのは、1956(昭和31)年に「公立養護学校整備特別措置法」(現在は廃止)が制定されてからのことであり、実際に養護学校の義務制が施行されたのは戦後の学校教育制度が発足してから32年目の1979(昭和54)年4月からのことです。
障害児教育を義務づけた新しい教育法制度の発足から、その義務制が施行されるまでになぜ30年以上もの年月が経過したのかといえば、学校教育法の附則に、「この法律は昭和22年4月1日から、これを施行する。ただし、盲学校、聾学校及び養護学校における就学義務並びにこれらの学校の設置義務に関する部分の施行期日は、勅令(昭和23年法律第133号により「政令」と改正)で、これを定める。」とあったからです。
この附則により、昭和23年から学齢に達した盲(視覚障害)と聾(聴覚障害)の児童については、すでに大正時代にそのための学校の設置が義務付けられていたことから、そのまま就学は義務となったのですが、知的障害、肢体不自由、病弱等のための養護学校の義務制の実施については、そのための教育実績も乏しく、戦後の混乱と財政的窮乏等の中で、障害のない児童生徒のための小学校、中学校の義務教育をまず優先させたということがあるわけです。
また、養護学校の義務化に向けた学習指導要領の作成が大変難航したという経緯があります。それは知的障害等を対象とする教育も障害のない児童生徒対象の教科学習中心の教育内容や方法に「準ずる」ことが規定されていたからです。
養護学校の義務制の実施が遅れたことや、養護学校の学習指導要領の作成が難航したというのは、端的に言えば、日本の障害児教育の取り組みは、障害のない児童生徒の教育を優先する形で、「障害」についての社会的理解が十分とはいえない状況下で進展してきたということを意味します。
換言すれば、日本の教育制度は、国民の教育要求に寄り添い、支援する教育制度ではなく、教科学習中心の学業を重視し、学力を優先する教育制度であり、知的発達に障害のある児童生徒への理解や配慮を欠くものであり、障害のない子どもを対象に考えられた教育制度の枠に当てはめるような形で進展してきたということです。
そのため障害児教育の義務制の実施は、その当初から教育の内容や方法をめぐる問題、学校卒業後の生活や就労支援をめぐる問題、さらに親亡き後などをめぐる問題となって、同じような論議を繰り返し現在に至る結果を招いたといっても過言ではないようです。またそれは、「インクルーシブ教育」や「共生社会」をめぐる問題を考えることとも関係することだと思います。
戦後の新しい教育制度において、学習指導要領は1947(昭和22)年に「教科課程、教科内容及びその取扱い」の基準として試案の形で作成されましたが、1951(昭和26)年の全面的な改訂では、「教科課程」の用語は「「教育課程」の用語に変換されました。
「教科課程」から「教育課程」に用語が変換されたのは、当初は、教育とは教科を教えることという考え方が強かったからだと思います。しかし教育とは単に教科を教えるということではないという考え方の変化が、「教科課程」から「教育課程」への用語変換となったのだと思います。
学習指導要領は改訂を重ねて現在に至るわけですが、現在のように、学習指導要領が教育課程編成の基準として文部科学大臣が公示する形で、法的に位置づけられたのは昭和33年のことであり、それ以来ほほ10年ごとに改訂を重ねてきたことになります。
しかし現在に至る学習指導要領の改訂過程は、障害のない児童生徒のための教育法制度の枠に障害児教育を無理に当てはめるような形で修正(改訂)を繰り返して進展してきたといえるのではないでしょうか。
学習指導要領の意義と課題
多様化、多様性の時代といわれる現状において、特に、障害児教育という観点からいえば、いわゆる「発達障害」が特別支援教育の対象となりました。しかし発達障害と一口に言っても、その内容や程度や状態は広範で多様です。しかも発達障害とされる児童生徒は増加の傾向にあります。さらに障害児だけでなく、不登校などの問題を抱える児童生徒の増加も顕在化しています。そのための多様な教育的支援を考えた場合、学習指導要領は今以上に細かく盛りだくさんの内容となるように思います。そのため柔軟性を欠き、結果的には指導要領が要領を得ないものになりかねないのではないでしょうか。
教科も大事であることは確かですが、教育とは何か、知識や技能を教えることが教育か、それは授業時数を増やしてたくさん教え込むことなのかどうか、義務教育とは何か、こうしたきわめて初歩的な問題を踏まえた確かな教育理念が確立しなければ、「インクルーシブ教育」や「共生社会」をめぐる問題は解消されないのではないかと思います。
現在、文部科学省は、2030年代の社会の変化を見据えて中央教育審議会(中教審)に諮問し、学習指導要領の改訂に向けた議論を進めているということですが、「教科課程」から「教育課程」への用語変換の経緯などの検証も意味があるように思います。
学習指導要領が必要なものだとしても、果たして規制力のあるものとして、細かく盛りだくさんの内容は必要なものなのかどうか、とくに障害児教育の義務制ということとの関連で考えた場合、権威主義的あるいは画一的、詰め込み主義的な考え方に陥らないような改訂議論に期待したいと思います。
「一人ひとりを大切にした教育」ということが言われていますが、そこで重要なことは、一人ひとりに対して具体的にどのように対応するかということです。障害のある人もない人も共にということは、単に画一的、一律的であることとは違うはずです。
インクルーシブ教育とは、すべての子どもが地域社会の学校教育の場に包み込まれ、それぞれに必要な教育が受けられることを意味すると言ってよいと思いますが、教育を受ける権利ということからすれば、どのような教育をどのような方法で、どのような教育的環境条件の下で受けることができるかどうかということが問題であるはずです。
人としてよく育ち、よく生きるための教育であるならば、障害をもつ子どもの教育も、障害のない子どもの教育も、その教育目標は同じであるといってよいと思います。しかし障害児者にとって効果的な教育の内容や方法を具体的に考えるということでは、その障害の内容や程度や状態に配慮する必要があります。
障害児教育の義務制の現状は、いわゆる発達障害の児童生徒が増加傾向にあり、その障害の内容も状態も程度も多様化しているといってよい思います。障害児の教育を受ける権利を保障するからには、障害の内容やその程度や状態などの実情に配慮した多様な教育の場や機会が当たり前に用意されるということでなければなりません。またそのための教育内容や教育方法等の創意、工夫ができるような教育制度でなければなりません。それが教育を受ける権利に対する教育を受けさせる義務ということだと思います。
多様化・多様性の時代といわれる現状において、教育とは何か考えたとき、日本の義務教育の制度における学習指導要領の在り方は、それに沿うものと言えるのかどうか、あるいは教育を施す側の思い込みだけが強く、それが教育本来の〝足かせ〟になっているようなことはないのかどうかという反省も必要ではないかと思います。その上で、もっと実際の教育の現場に裁量を委ね、それを支援するという方向で教育制度を抜本的に見直す必要があるように思います。
教育とは、単に知識や技能的なものを教えればよいというものではなく、人間社会の中でどのようによりよく生きていくかを目指すところに大切な意味があり、とくに義務教育とはそのためのものでなければならないと思います。そうした確かな理念に基づく教育制度の確立が「共生社会」「インクルーシブ教育」に通ずるものと思います。
《提 言》
戦後、障害児の教育が義務制になった意義は大きいと思います。特別支援教育の対象とされる子どもの数は年々増加の傾向にあり、令和4年12月13日の文部科学省の調査では、小中学校の通常学級に通う児童生徒の8.8%に「発達障害」の可能性があるとのことです。
障害のある子供の就学先の決定について文部科学省は、「本人・保護者の意見を可能な限り尊重し、教育的ニーズと必要な支援について合意形成を行うことを原則とし、障害の状態や必要となる支援の内容、教育学等の専門的見地といった総合的な観点を踏まえて市町村教育委員会が決定することとなっています。」としています。しかし障害児の就学先決定に関するプロセスの現状は問題や課題があるといってよいと思います。
障害児教育の義務制については、当初からその教育の内容や方法等をめぐる問題とともに、義務教育終了後をめぐって、同じような問題が繰り返されてきたと思います。そうした問題の内容は、「インクルーシブ教育」や「共生社会」をめぐる問題とも関連することだと思います。
日本国憲法第26条は、教育を受ける権利と教育を受けさせる義務について規定しています。障害のある児童生徒の教育をどう考えるかということでは、その根拠として、憲法、教育基本法、学校教育法は大変重要だと思います。それぞれの条文の下線部分は特に重要だと思います。
| 日本国憲法【教育を受ける権利、教育の義務】 第26条 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。 ②すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。 |
憲法第26条の「その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」というのは、人の能力的発達には個人差があるということであり、「教育を受けさせる義務」というのは、そうした能力的発達の程度や状態に対応した配慮をすることであり、それが教育基本法第4条第2項の「その障害の状態に応じ、十分な教育を受けられるよう、教育上必要な支援を講じ」ということだと思います。その場合の「ひとしく」というのは、教育の内容や方法が教育を受ける人すべてに対して、単に同じであればよいということではないはずです。また個人差を無視することでも、同じことを同じように強要することでもないはずです。
能力的な発達段階や興味や関心などに対応した教育内容や教育の方法、教育の場、教育の機会を用意することは、教育を受ける権利に対する義務であり、それは画一や一律ということとは違うことであるにもかかわらず、ひとしく教育を受けさせるということと、一律的・画一的な教育とが無差別平等論の下に混同されているようなところがあると思います。
| 教育基本法【義務教育】 第5条 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。 2 義務教育として行われる普通教育は、各個人の有する能力を伸ばしつつ社会において自立的に生きる基礎を養い、また、国家及び社会の形成者として必要とされる基本的な資質を養うことを目的として行われるものとする。 3 ー省略ー 4 ー省略ー 学校教育法第21条【普通教育の目標】 第21条 義務教育として行われる通教育は、教育基本法(平成18年法律第120号)第5条第2項に規定する目的を実現するため、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。 一 学校内外における社会的活動を促進し、自主、自律及び協同の精神、規範意識、公正な判断力並びに公共の精神に基づき主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 二 学校内外における自然体験活動を促進し、生命及び自然を尊重する精神並びに環境の保全に寄与する態度を養うこと。 三 我が国と郷土の現状と歴史について、正しい理解に導き、伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うとともに、進んで外国の文化の理解を通じて、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。 四 家族と家庭の役割、生活に必要な衣、食、住、情報、産業その他の事項について基礎的な理解と技能を養うこと。 五 読書に親しませ、生活に必要な国語を正しく理解し、使用する基礎的な能力を養うこと。 六 生活に必要な数量的な関係を正しく理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。 七 生活にかかわる自然現象について、観察及び実験を通じて、科学的に理解し、処理する基礎的な能力を養うこと。 八 健康、安全で幸福な生活のために必要な習慣を養うとともに、運動を通じて体力を養い、心身の調和的発達を図ること。 九 生活を明るく豊かにする音楽、美術、文芸その他の芸術について基礎的な理解と技能を養うこと。 十 職業についての基礎的な知識と技能、勤労を重んずる態度及び個性に応じて将来の進路を選択する能力を養うこと。 |
教育基本法第5条には、「普通教育を受けさせる義務を負う。」「義務教育として行われる普通教育」とあり、学校教育法第21条にも、「義務教育として行われる普通教育」とあります。教育基本法と学校教育法でいう「普通教育」というのは、憲法第26条の「すべての国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」に基づくもので、憲法、教育基本法、学校教育法でいう「普通教育」というのは同じ意味だと解釈できますが、具体的にどのような教育をいうのかという点が重要だと思います。
条文の内容からすれば、普通教育というのは、要するに人としてあるいは社会の構成員として生活していく上で必要な教育だとか、次代を担うために必要な教育だと解釈すればよいと思います。しかしそれは文化レベルや生活習慣あるいはその時代状況など社会的環境条件等との関連で相対的に考えられるものということになると思います。しかもその教育の内容や方法は、教育を受ける権利を有する側によって考えられるのではなく、教育を受けさせる義務を負う側の価値観や判断基準に基づいて考えられるものであり、まさに学校教育における教育内容や方法とはそういうことになると思います。
具体的にどのような教育の内容や方法を考えるかという点がきわめて重要なことになるわけですが、人間の多様性や可能性という点からいえば、教育の内容や方法も多様であって当たりまえであり、それを「普通」とか「普通でない」と区別する必要はないはずですから、 わざわざ「普通教育」などといわずに、「教育」というだけでよいのではないでしょうか。そういう意味では、何か特定の高度な学びや専門的な学びに応えるための教育を「専門教育」とか「高等教育」というのはよいとしても、障害児童生徒のための教育に「特別」を付けて「特別支援教育」などといわずに、単に「支援教育」でよいのではないでしょうか。
教育施策や福祉施策は文化国家としてのバロメーターともいえるわけで、その国の在りようが大きく関係します。障害児者の教育や福祉に関することはまさしくそういうことだと思います。
| 学校教育法第72条【特別支援学校の目的】 第72条 特別支援学校は、視覚障害者、聴覚障害者、知的障害者、肢体不自由者又は病弱者(身体虚弱者を含む。以下同じ。)に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けることを目的とする。 |
さらに言えば、障害児のための養護学校(現在の特別支援学校)の義務制はすぐに始まったわけではなく、戦後の新教育制度の発足から32年目の1979(昭和54)年からであり、それは多様な障害の内容等に配慮した教育というよりも、障害のない児童生徒の教育を優先する教育法制度の下で進展してきたという経緯があります。しかし次第に障害児への理解も深まり、そのための取り組みも考えられるようになって現在に至っているわけです。
その一方で、障害のない児童生徒の教育が正規の教育で、障害児の教育はそれに〝準ずる教育〟(学校教育法第72条)というような法の定めがあるがあるがために、ノーマライゼーションの理念やインクルーシブ教育の理念を日本流の考え方として消化しきれずに混乱を招いている現状があるように思います。
端的に言えば、ノーマライゼーションの理念もインクルーシブ教育も、人の多様性や教育の多様性を否定するものではないはずであるにもかかわらず、学校教育法第72条の〝準ずる教育〟の規定は、その妨げになっているといっても過言ではないように思います。
要は、誰のための教育か、何のための教育かということが大切なわけですから、〝準ずる教育〟というような教育法制度に障害のある児童生徒の存在を当てはめるのではなく、障害のある児童生徒にも配慮した教育法制度でなければインクルーシブ教育システムの構築などというのは単に形だけのものということになると思います。
教育を受けさせる側が障害児のためにといいながら、「障害」を一括りにして、障害の多様性を理解しないままの一般論や建て前論を通そうとするようなことがありがちであることには留意すべきだと思います。それは教育のことだけでなく、障害者施策全般に言えることではないでしょうか。
障害児教育が義務制になった意義は大きいと思いますが、義務教育を修了すればそれでよいということではないわけです。障害児教育の義務制が実施された当初から現在に至るまで、障害児者の教育や福祉をめぐる問題や課題は基本的にはあまり変わってはいないといっても過言ではないようです。それは障害児者の一生をどのように考え、どのように見据えるかという視点が不明確なまま、その一生に配慮した支援施策が未整備、未確立だからです。
義務教育というのは、人の一生という視点に立てば、支援の一部でしかなく、学齢期前後の支援体制が不十分だとすれば、義務教育とは一体何かということです。義務教育の前後の諸問題を踏まえた支援施策とその確立は大きな課題だと思います。そこには教育施策と福祉施策の連携の意義と重要性があるわけですが、教育と福祉は別々の領域のように思われているところにも問題があると思います。
教育の対象も福祉の対象も人々すべてです。障害児者や弱者を排斥するものではありません。人権の視点で教育と福祉を考えることが大切であり、教育の視点で福祉を考え、福祉の視点で教育を考えるということが大切だと思います。
知的障害児者の教育と福祉
―「精神薄弱」から「知的障害」へ―
戦後日本の障害者施策の変遷と現状
日本の教育制度と障害児教育
《教育の義務化と学習指導要領と特別支援教育》
権利としての教育と福祉
教育を受ける権利の保障について
障害(者)観を変えた国際障害分類と国際障害者年
ー国際障害分類試案/国際障害者年/国際生活機能分類―
世界人権宣言と障害者の権利宣言
障害者権利条約とは
<障害者の権利に関する条約と「合理的配慮」について>
国連障害者権利委員会の審査、勧告について ≪審査、勧告をどう受け止めるか≫
共生社会とインクルーシブ教育を考える
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