知的障害児者の教育と福祉
ー「精神薄弱」から「知的障害」へー

浅 井  浩
2024.11/2024.12.24/2025.1.10/2025.2.18




 「精神薄弱」は、法律用語としても使用されてきた言葉ですが、不適切用語であるとして、1999(平成11)年4月から「知的障害」に改められて現在に至っています。

 適切な用語の条件としては、人々に抵抗なく受け入れられ、その意味が正しく伝わり、理解される表現でなければなりません。用語問題を考えるためには、その用語がいつごろから登場し、どのようなことで使われるようになったのか、その経緯をたどってみるということも大切だと思います。

 「精神薄弱」とともに、一般的な同義語として「精神遅滞」「知恵遅れ」「知能遅滞」「知能障害」「精神発達遅滞」「発達障害」なども、各分野で使われてきました。これらの用語は同義語ではあっても表現が異なるように、各分野における共通の理解や認識という点では概念上の問題を含んできたといえます。学術用語としては、「低能(ていのう)」「白痴(はくち)」「痴愚(ちぐ)」「魯鈍(ろどん)」「劣等」(れっとう)」などが用いられてきた時期もありました。

 現在に至る知的障害児者の教育や福祉にかかわる諸問題を概観すれば、それらは戦後に障害児の学校教育が義務制になった当初から基本的には変わってはいないようです。それらの問題とは、要するに「障害」をどのように受け止め、どのような支援施策を講ずるかということだと思います。その意味では日本の障害(者)理解はまだ確かなものとはいえないかもしれません。

 戦後日本の障害児者に関わる施策は、1981(昭和56)年の「国際障害者年」、1983(昭和58)年~1992(平成4)年の「国連・障害者の十年」、2006(平成18)年の国連総会での「障害者権利条約」の採択などを契機とする世界的な潮流も踏まえて変化してきたといってよいと思いますが、日本の取り組みについては、2022(令和4)年に障害者権利条約に基づく国連の障害者権利委員会による審査があり、その審査結果と勧告が公表されました。

 勧告の内容は、分離された特別支援教育を改めることを求めるインクルーシブ教育に関することや、障害者の脱施設化政策や就労支援に関わることなどを含むものです。

 精神薄弱から知的障害に用語が改められ、現在に至る過程において知的障害(者)への理解も深まり、人々の意識も変化してきたことは確かだと思いますが、勧告に対して、明確な日本流の対応ができなければ、日本は文化国家とはいえないと思います。

 教育と福祉は文化国家のバロメーターであり、国のありようが大きく関係することです。今後の施策の動向を注視していくことが大切だと思います。


<主なページ>

「精神薄弱」から「知的障害」へ -発達障害・精神遅滞・知的障害の用語についてー

戦後日本の障害者施策の変遷と現状

障害児教育の義務制の意義と課題

権利としての教育と福祉

教育を受ける権利の保障について

ノーマライゼーションと障害児者の教育と福祉を考える

障害(者)観を変えた国際障害分類と国際障害者年
ー国際障害分類試案/国際障害者年/国際生活機能分類―

教育を受ける権利と学歴偏重

世界人権宣言と障害者の権利宣言

障害者権利条約とは
障害者の権利に関する条約と「合理的配慮」について>

国連障害者権利委員会の審査、勧告について
≪審査、勧告をどう受け止めるか≫

共生社会とインクルーシブ教育を考える

障害者福祉と福祉サービスの意味


知的障害と就労について

知的障害と精神障害について
《知的障害と精神障害についての誤解と偏見》

「障害」は「個性」か/障害と個性についての考え方




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